ウィーンのカフェで、皿にのった一切れを見たことがある人ならわかると思う。紙みたいに薄い生地が何重にも巻かれていて、フォークを入れるとぱりっと崩れ、中から煮えた林檎とシナモンが出てくる。アプフェルシュトゥルーデル——オーストリアを代表する焼き菓子である。ところがこのお菓子、家系図をさかのぼっていくと、蜂蜜のシロップでびしょびしょになった中東のあの菓子、バクラヴァに行き着くらしい。 ※注:シュトゥルーデルは、薄く伸ばした生地で具を巻いて焼いたオーストリアの菓子。定番は林檎とシナモンを巻いたアプフェルシュトゥルーデルで、切ると断面が渦巻き模様になる。日本ではウィーン風のカフェや、ドイツ・オーストリア菓子を置く店でときどき見かける。バクラヴァのほうは、紙のように薄い生地を何十層も重ね、あいだにクルミやピスタチオの刻みをはさんで焼き、熱いうちに砂糖や蜂蜜のシロップを流しかけた菓子。トルコ、ギリシャ、レバノン、シリア、イラン、バルカン半島の国々など、非常に広い地域で作られていて、日本でも輸入食品店やトルコ料理店で手に入る。甘さは日本の和菓子の感覚をかなり超えていて、親指ほどの一切れで十分に足りる。 今日の知ってた? 🥐 オーストリアの名物菓子シュトゥルーデルは、中東・地中海圏の菓子バクラヴァと同じ系譜につながっている、と説明されることが多い。オスマン帝国がハンガリーを支配していた16〜17世紀に、紙のように薄く伸ばした生地を使う菓子が中欧に持ち込まれ、ハンガリーでは「何十層も重ねる」代わりに具ごと巻く形に変わっていった、というのが有力な説である。この巻いた菓子がやがてオーストリアに伝わり、切り口の渦巻き模様から、ドイツ語で「渦」を意味するStrudel(シュトゥルーデル)と呼ばれるようになった——とされている。現存する最古のシュトゥルーデルのレシピは1696年、ウィーンに残る手書きの料理帳のものだという。ただし料理の系譜には必ず異説があり、これが確定した定説というわけではない。 背景:「紙のように薄い生地」という共通のご先祖 この話の主役は、林檎でもクルミでもなく、生地のほうである。 バクラヴァに使われるのはフィロ生地と呼ばれるもので、小麦粉と水を練って、向こう側が透けるまで薄く伸ばした一枚を指す。バターや油を塗りながらこれを何十枚も積み上げ、あいだにナッツをはさんで焼く。噛んだときの、あの薄い層が一斉に砕けるような食感は、この積層から生まれている。 ※注:フィロ(φύλλο)はギリシャ語で「葉」「一枚の薄いもの」を意味する。日本のスーパーで買えるものではないが、冷凍のフィロ生地は輸入食材店や通販で手に入る。パイ生地(パフペイストリー)と混同されやすいけれど、あちらは生地にバターの板を折り込んで層を作るもので、作り方はまったく別。フィロは油脂を折り込まず、とにかく薄く伸ばして重ねる。 ここで想像してみてほしい。透けるほど薄い生地を、破らずに、何十枚も。台所での作業として、これはかなり無茶な部類に入る。プロの職人が何年もかけて身につける技術であって、家庭で気軽にやるものではない。 そして、この無茶な生地の技術が中欧に伝わったとき、そこで起きたのが今回の話である。ハンガリーの人たちは、重ねるのをやめて、巻いた。一枚の生地を大きく引き伸ばし、その上に具を線状に置いて、端からくるくると巻き込む。層は積み上げるのではなく、巻いた結果として自動的にできる。焼き上がりを切ると、断面には渦ができている。 のちにオーストリアの人がこの菓子を見て、その断面をそのまま名前にした。ドイツ語で渦、渦潮を意味する Strudel。今わたしたちがカフェで注文しているものの名前は、要するに「渦巻き」である。 もう少し詳しく オスマン帝国とハンガリーの、150年の同居。1526年のモハーチの戦いでハンガリー王国軍が敗れたあと、ハンガリーの中央部は長くオスマン帝国の統治下に入った。ブダが陥落したのが1541年、オスマン側が中欧から退いていくのが17世紀の終わりごろだから、ざっと150年である。これだけの期間、同じ土地で同じ市場に通えば、食べ物は必ず混ざる。パプリカ、コーヒー、そして薄い生地の菓子——中欧の食卓に今も残っているものの少なくない部分が、この時期に持ち込まれたと説明されている。 「重ねる」から「巻く」へ。なぜ形が変わったのかについて、はっきりした記録が残っているわけではない。ただ、しばしば持ち出される説明はこうだ。バクラヴァのように何十枚もの薄い生地を積み上げるには、専門の職人と道具と時間が要る。それを家庭の台所でやろうとすれば、伸ばして、破って、また伸ばして、の繰り返しになる。ならば大きく一枚に伸ばして巻いてしまえばいい。手間は劇的に減り、しかも断面には層が残る。合理的な妥協である。ハンガリー語では今もこの菓子を rétes(レーテシュ) と呼ぶ。 1696年のウィーンに残る、最古のレシピ。シュトゥルーデルの記録としてよく挙げられるのが、ウィーンに保管されている1696年の手書きの料理帳である。そこに書かれていたのは林檎ではなく、ミルヒラームシュトゥルーデル——ミルクのクリームを巻いて焼くタイプだった。つまり、わたしたちが「シュトゥルーデルといえばこれ」と思っている林檎のやつは、この菓子の歴史のなかではむしろ後発ということになる。 新聞の文字が読めるまで伸ばす。ウィーンのシュトゥルーデル生地には、職人のあいだで語り継がれている目安がある。生地の下に新聞を敷いて、文字が読めるようになるまで伸ばすというものだ。しかもフィロのように何枚も重ねるのではなく、たった一枚を、布を敷いた大きなテーブルいっぱいまで手の甲で引き伸ばしていく。作業を動画で見ると、これはもう菓子作りというより布を扱う仕事に近い。破れたところは、あとで巻くときに内側に隠れるので、意外と許される。 ハンガリーでは、甘くないものも巻かれている。日本でシュトゥルーデルというと林檎一択に近いけれど、本場のレーテシュはもっと幅が広い。カッテージチーズにレーズンを混ぜたもの、ケシの実をすりつぶして甘く練ったもの、サワーチェリー、そしてザワークラウトやスパイスを効かせたひき肉。デザートというより、そのまま昼食になる巻き物が普通に売られている。 ※注:ケシの実のペーストは中欧・東欧の菓子では定番の中身で、黒ごまあんに近い見た目をしている。味も、ごまあんをもう少し香ばしくしたようなものを想像すると遠くない。またトルコやバルカン半島には börek(ブレク) という、同じ薄い生地にチーズやひき肉や野菜を詰めて焼く塩味のパイがあり、渦巻き型に巻いたものも多い。朝食や軽食の主役で、こちらは甘くない。 どこが発祥か、という話。最後にひとつ断っておきたい。バクラヴァは、トルコ、ギリシャ、レバノン、シリア、イラン、そしてバルカン半島の複数の国で、それぞれ「うちの菓子」として作られている。どこが起源かをめぐる議論は現在も続いていて、この記事でそれを裁定するつもりはない。ここで確かに言えるのは、薄く伸ばした生地を使う菓子が広い地域で共有されていて、ウィーンのカフェの一皿もその輪の中にいるらしい、ということだけである。 海外の反応 1. 海外の名無しさん ハンガリーでは今でも、日本人が想像しないような中身のやつが普通に買える。発酵させたキャベツ、スパイスを効かせたひき肉、ケシの実をすりつぶして甘く練ったもの、レーズン入りのカッテージチーズ。菓子コーナーではなく惣菜コーナーに置いてある種類もある。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 「発酵させたキャベツ」って、それ普通にザワークラウトと言えばいいのでは。ピクルスのことを「発酵させたきゅうり」と呼ぶ人はいないだろう。あと「想像しない中身」と言うけど、挙がっているのは肉とチーズと野菜だぞ。パイに何が入っていたら普通なんだ。ガラスか。 3. 海外の名無しさん(>>1への返信) その並びは東欧の焼き菓子では全部ふつうの中身で、変わっているかどうかは完全に見る側の立ち位置の問題だと思う。こっちからすると、粒の残った小豆を甘く煮て菓子に入れる文化のほうがよほど攻めている。慣れたら大好きになったけど。 4. 海外の名無しさん(>>1への返信) 去年ブダペストに行ったのに、市場で甘いのしか食べずに帰ってきた。ザワークラウトを巻いて焼いた菓子が売っていると先に知っていたら、間違いなくそれを買っていた。バクラヴァの親戚がキャベツを抱えて出てくるという絵面がもう楽しい。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 甘いほうを選んだこと自体は責められない。ただ、行くならカッテージチーズのやつを推したい。ほんのり酸味のあるチーズにレーズンが混ざっていて、焼きたてだと中身がまだとろっとしている。あれを食べてから、林檎のシュトゥルーデルの立ち位置が自分の中で二番手に落ちた。 6. 海外の名無しさん 親戚だという話は納得したけれど、食べたときの印象がまるで違うのは、シロップの有無がほとんど全部だと思う。バクラヴァは焼いたあとに砂糖や蜂蜜のシロップを流しかけて、生地の芯まで甘さを吸わせる。シュトゥルーデルはそれをやらない。焼き上がりに粉砂糖をふるだけで終わりだ。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) 正直、似ているとはまったく思えない。片方は蜜でびしょびしょになってナッツがぎっしり、もう片方は林檎とシナモンでほろほろしている。口に入れた瞬間の情報量からして別の食べ物だ。同じ家系だと言われても、遠い親戚の名前を聞かされている感覚に近い。 8. 海外の名無しさん(>>7への返信) 食べ物の系譜って、味ではなく技術のほうで繋がることが多いんだと思う。今回つながっているのは「薄く伸ばした生地の扱い方」であって、甘さの方向性ではない。麺だってそうで、小麦を伸ばして切るという技術が広がった先で、スープも具も全部その土地のものに置き換わっている。似ていないほうが自然なくらいだ。 9. 海外の名無しさん 形が渦巻きだったから「渦」という名前になった、という命名の雑さが最高だと思う。何百年も受け継がれてきた菓子の名前が、要するに見たまんまなんだよな。自分が最初に食べた人だったら、絶対にその名前は思いつかない。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) その「渦」つながりで言うと、ヘブライ語ではメールアドレスの @ 記号のことをシュトゥルーデルと呼ぶ。イスラエルで会社のアドレスを口頭で伝えるとき、みんな真顔で「なんとかシュトゥルーデルなんとか」と言っている。あの記号をお菓子の断面だと思って見ると、確かにそうとしか見えなくなる。 11. 海外の名無しさん 当時のハンガリーの台所で起きたことを想像している。「透けるほど薄い生地を四十枚も重ねろ? しかも触るたびに破れるやつを? 無理だ、もういい。全部まとめて巻く」。そして生まれたものが数百年後にウィーンの名物になっているのだから、面倒くさがりの功績は侮れない。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) 面倒くさがった結果と言われると少し弁護したくなる。巻くほうも決して楽ではなくて、テーブル一枚ぶんの大きさまで生地を破らずに引き伸ばす必要がある。重ねるのをやめた代わりに、一枚あたりの難易度は上がっている。楽をしたというより、難しさの置き場所を変えたという感じだ。 13. 海外の名無しさん 細かいことを言うようだけれど、フィロ(φύλλο)はギリシャ語で「葉」「薄い一枚」という意味なので、「フィロシート」と言うと「シートシート」になってしまう。誰も困らない豆知識なので、そのまま持ち帰ってほしい。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) その語、実は学校で習っている。葉緑素を意味するクロロフィルは chloros(緑)と phyllon(葉)の合成で、後ろ半分がフィロと同じ語源にあたる。理科の教科書とトルコ料理店のショーケースが同じ単語でつながるとは思っていなかった。 15. 海外の名無しさん(>>13への返信) 言葉は借りられた先で意味が変わるもので、ギリシャ語の外ではフィロはもう「あの種類の生地」を指す固有の名前になっている。元の言語での意味を持ち出して重複を指摘するの、面白いのは最初の一回だけで、やりすぎると誰も何も注文できなくなるやつだと思う。 16. 海外の名無しさん この生地をパイ生地と同じものだと思っている人が多いけれど、作り方はまったくの別物である。パイ生地は冷たいバターの板を生地に折り込んで、焼いたときにバターの水分が蒸発して層を押し上げる。フィロやシュトゥルーデルの生地は折り込まない。ひたすら引き伸ばして薄くする。だから食感も、ふくらむのではなく、乾いた紙が砕けるような割れ方になる。 17. 海外の名無しさん こういう話を読むたびに考えるんだけど、「わが国の伝統料理」と呼ばれているもののうち、実際にはどれくらいが何世紀もかけた地域の混ぜ合わせなんだろう。自国の料理として胸を張っているものほど、たどると誰かからもらってきている気がする。 18. 海外の名無しさん(>>17への返信) スウェーデンのミートボールがまさにそれで、数年前に公式の広報アカウントが「あれは18世紀にトルコから持ち帰られたレシピが元になっている」と言い出して、国内が軽くざわついたことがある。研究者からは異論も出ていて決着はついていないらしいけれど、国民食の出自を国が自分から掘り返したという事実だけで十分に事件だった。 19. 海外の名無しさん(>>17への返信) 食材の側から見るともっとすごいことになる。じゃがいも、トマト、唐辛子、パプリカ、とうもろこし、カカオ。この辺は数百年前まで旧大陸には存在しなかった。ハンガリーのパプリカも、イタリアのトマトソースも、ドイツのじゃがいも料理も、全部それ以降に始まっている。伝統というのは思っているより新しい。 20. 海外の名無しさん 巻いた薄い生地に具を詰めて焼くという説明を読んでいるあいだ、ずっと頭の中でブレクという単語が点滅していた。トルコやバルカン半島の朝ごはんに出てくるあれと、途中まで完全に同じ話ではないのか。 21. 海外の名無しさん(>>20への返信) その直感はたぶん正しくて、ただブレクは塩味の側の担当だと思えばいい。中身はチーズやひき肉やほうれん草で、朝食や軽食として食べる。同じ生地から甘い方向に伸びた枝がシュトゥルーデルで、しょっぱい方向に伸びた枝がブレク、くらいの整理でだいたい合っている。しかもハンガリーには両方の性格を持ったやつがいる。 22. 海外の名無しさん ドイツに住んでいると、この手の話を身近な例で実感できる。今この国で最も食べられている軽食のひとつがドネルケバブで、あれもトルコからやってきたものだ。厳密には帝国の時代ではなく戦後に働きに来た人たちが持ち込んだ食べ物だけれど、五十年ほどで完全に国民の胃袋の一部になっている。数百年経ったら、たぶん誰も出自の話をしなくなる。 23. 海外の名無しさん ルーマニアでは、トルコ式のやつと自国式のやつが両方ふつうに売っている。前者はシロップがしっかり染みた甘い菓子で、後者は生地が厚めで、正直デザートというよりは食事に近い。同じ祖先から出発して、隣の国どうしでここまで違う場所に着地しているのが面白い。 24. 海外の名無しさん ウィーンのカフェでコーヒーとシュトゥルーデルを頼むのは、あの街のいちばんベタな過ごし方だと思っていた。それがどちらもオスマン帝国を経由して届いた可能性があると言われると、あのテーブルの上だけで数百年ぶんの移動が起きていることになる。今すぐ粉砂糖のかかったやつを食べたい。 まとめ オーストリアの名物菓子シュトゥルーデルは、オスマン帝国の統治下にあったハンガリーで、バクラヴァの薄い生地の技術が「重ねる」から「巻く」に作り変えられ、そこからウィーンへ伝わったもの——という説明が広く知られている。切り口の渦巻き模様がそのまま「渦」という名前になり、現存する最古のレシピは1696年のウィーンに残っている。ただし料理の系譜に確定した答えはなく、バクラヴァ自体もトルコ、ギリシャ、レバノン、バルカン半島の国々がそれぞれ自国の菓子として作り続けている。コメント欄はというと、系譜の話よりも「ハンガリーではザワークラウトやひき肉が巻かれている」「カッテージチーズのやつが一番うまい」といった中身の話で盛り上がり、途中からは「そもそも伝統料理と呼ばれているもののうち、どれだけが借り物なのか」という方向に流れていった。渦巻きの断面ひとつから、ずいぶん遠くまで話が転がった一日だった。 元ソース: シュトゥルーデルはバクラヴァとつながっている。オスマン帝国がハンガリーを支配したときバクラヴァが持ち込まれ、ハンガリーの人々は薄い生地を具ごと巻く形に作り変えた。それがオーストリアに伝わり、形から「渦」と呼ばれるようになった The post 「新聞を敷いて、文字が読めるまで生地を伸ばす」ウィーンの林檎のお菓子、たどるとバクラヴァに行き着くらしい appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…