船底に水が上がってくる。汲み出すためのポンプは動かない。乗組員たちは一隻しかない救命ボートに移ろうとしている——その場面で、客として乗り合わせていた医師が斧を手に取った。振り下ろした先は、そのボートの底だった。19世紀アイルランドの医師ロバート・グレーヴス。甲状腺の病気に名前が残っている、あの人である。 ※注:「ビルジ」とは船底にたまる水のこと。木造の帆船はどこかしらから水が入ってくるのが前提で、それを汲み出すビルジポンプは装備というより生命線だった。当時は人力のピストン式で、水を持ち上げる要になっていたのが革でできた部品である。 今日の知ってた? ⚓ 19世紀アイルランドの医師ロバート・グレーヴスは、嵐で浸水した船に乗り合わせ、脱出しようとした乗組員の救命ボートを斧で叩き壊した。そのうえで自分の靴から革を切り出してポンプの傷んだ部品を作り直し、汲み出しの作業に全員を戻した。船はもちこたえ、乗っていた者は全員が生きて陸に着いた、と伝えられている。 背景:ロバート・グレーヴスという医師 ロバート・ジェームズ・グレーヴスは1796年、アイルランドのダブリンに生まれた医師である。ヨーロッパ各地で医学を学び、帰国後はダブリンのミース病院で診療と教育にあたった。当時の医学教育は教室での講義が中心だったが、グレーヴスは学生を病室に連れていき、実際の患者を前にして診察させる方式を広めた人として知られている。今でいうベッドサイド教育で、これが後の臨床教育の型になった。 もうひとつ有名なのが、熱のある患者への向き合い方である。当時は発熱した患者に食事を与えず消耗させるのが一般的な作法だったが、グレーヴスはこれに反対して、しっかり食べさせる方針を取った。自分の墓碑には「彼は熱病の患者に食べさせた」と刻んでほしい、と語ったという逸話が残っている。医学史の教科書によく出てくる人だが、要するに「常識のほうを疑う」タイプの医者だったらしい。 そして、名前が残った病気の話。1835年、グレーヴスは、首の腫れ・動悸・眼球の突出といった症状が同時に現れる患者について報告した。これがのちにフランスの医師によって「グレーヴス病」と呼ばれるようになる。甲状腺のはたらきが過剰になって、体のあちこちがアクセルを踏みっぱなしのような状態になるもので、動悸、体重の減少、汗、手のふるえ、疲れやすさ、目のまわりの症状などが挙げられる。 日本でこれを「バセドウ病」と呼ぶのは、ドイツの医師カール・フォン・バセドウが1840年に同じような症例を報告しており、明治期の日本がドイツ医学を手本にしたためだと説明されている。呼び名が違うだけで、指している病気は同じものである。英語圏では「グレーヴス病」、ドイツ語圏や日本では「バセドウ病」。これを知っておくと、海外の記事や論文を読むときに混乱しない。 ※ 症状の出方や経過には個人差が大きく、ここでの説明は一般的な範囲にとどまる。診断や治療については必ず医療機関で確認してほしい。 もう少し詳しく 嵐に遭ったのは、まだ20代のころの旅の途中だったとされる。グレーヴスは学業を終えたあと数年かけてヨーロッパ大陸を回っており、その道中で画家のターナーとしばらく旅を共にした、スパイと間違われて拘留された、といった逸話がいくつも残っている。船の一件もこの放浪期のできごととして語られるもので、大筋は「客として乗っていた船が、航海の途中で激しい嵐に巻き込まれた」というところから始まる。 船が浸水し、ポンプが動かなかった。木造の船は多少の漏水を前提にしていて、船底にたまる水はポンプで汲み出し続けるのが当たり前だった。ところがこの船では、水を持ち上げる要になる革の部品が傷んでいて、しかも予備が一枚も積まれていなかった。汲み出せないまま水位だけが上がっていく。乗組員は船を見限り、一隻しかない救命ボートに移ろうとした。 そこでグレーヴスは斧を取った。振り下ろした先は乗組員ではなく、救命ボートの底である。「一緒に沈もうじゃないか、良い仲間と別れるのは惜しい」と言い放ったと伝えられている。逃げ道を物理的に消したうえで、自分の靴から革を切り出してポンプの部品を作り直し、全員を汲み出しの作業に戻した。船はもちこたえ、誰も欠けることなく陸に着いた——というのが、この話の結末である。 ※ この一件について残っている記述は、グレーヴス自身が語ったものに由来するとされる。台詞や細部がどこまで正確なのかを確かめる手立ては乏しく、語り継がれる過程で形が整えられている可能性もある。 救命ボートを壊す、という判断について。現代の感覚では最悪の行為に見えるが、19世紀の船の事情を踏まえると見え方が変わってくる。まず、乗っている人数分の救命ボートを積む義務は、当時まだ存在しなかった。全員分を備えるルールが各国で整うのは、1912年のタイタニック号の事故より後のことである。一隻きりのボートに乗れるのは一部だけで、残された人間は船とともに沈むことになる。さらに当時は、乗組員が先にボートを奪って乗客を置き去りにする事故が繰り返し起きていた。「船を捨てて逃げる」が助かる道とは限らず、「全員で船を浮かせ続ける」ほうが生存率の高い場面は現実にあった。海外のコメント欄でも、この点を指摘する書き込みに支持が集まっていた。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 1800年代初めのビルジポンプって、そもそもどういう装置だったんだろう。靴の革で直せるくらいだから、相当に単純な仕組みだったってことだよな。急に気になってきた。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 自転車の空気入れやキャンプ用のポンプと同じで、革のパッキンが要になっている。ピストンに開いた穴を革の弁がふさいで、押し上げるときだけ水を持ち上げる。引くときは弁がめくれて水が通り抜ける。この形なら、革さえあれば現場で何とか間に合わせられるわけだ。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) 革って昔の「とりあえず何にでも使える素材」だよな。袋にも、蝶番にも、ベルトにも、パッキンにもなる。しかも肉を食べた副産物として勝手に手に入る。 4. 海外の名無しさん(>>2への返信) うちに1960年代の自転車の空気入れが残っているんだが、あれも中身は革のパッキンだった。かなり最近まで現役だった技術なんだと知って驚いた覚えがある。 5. 海外の名無しさん 「一緒に沈もうじゃないか、良い仲間と別れるのは惜しい」と言いながら救命ボートに穴を開けたらしい。台詞の完成度が高すぎるだろ。この人のこと、ちょっと好きになってしまった。 6. 海外の名無しさん(>>5への返信) その場に自分が乗り合わせていたら、たぶん好きにはなれないと思うぞ。今まさに全員まとめて溺れ死ぬ方向へ舵を切られたわけだから。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) 溺れさせたというより、逃げ場のほうが幻だったという話だと思う。救命ボートに乗れるのはせいぜい数人で、残りは確実に船と一緒に沈む。しかも嵐の海に小舟で漕ぎ出したところで、助かる見込みが高いわけでもない。全員で船を浮かせ続けるのが、いちばんましな賭けだった。 8. 海外の名無しさん 救命ボートに穴を開けるのは、今の感覚だとどう考えても大問題だろ。陸に着いたあとで「ちょっと話がある」と言われる側の行動だと思う。できればこちらも斧を持って。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) 当時は乗っている人数分の救命ボートを積む義務すらなかったんだ。全員分を用意しろというルールが各国で整うのは、タイタニックが沈んだ1912年より後の話。グレーヴスが亡くなったのは1853年だから、そもそも前提が違う。 10. 海外の名無しさん(>>8への返信) さらに言うと、1800年代は乗組員が先に救命ボートを奪って乗客を置き去りにする事故が実際に起きていた。乗ろうとした人をオールで殴って追い払った例まで記録に残っている。船を捨てて逃げる側が善玉とは限らなかった時代の話なんだよな。 11. 海外の名無しさん 個人的に一番引っかかるのは、いざという時に革のパッキンが傷んでいて、しかも予備が一枚も積まれていなかったという点だ。数ペンスの部品がなかったせいで、船も乗っていた人間も全部失いかけている。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) 海軍の隠語で「ガンデッキング」と呼ばれるやつだな。点検をやったことにして書類だけ埋める、いわゆる机上の整備。時代が変わっても、この習慣だけは驚くほどしぶとく生き残っている。 13. 海外の名無しさん(>>11への返信) 要するに自分たちで作り出した緊急事態ということだよな。医者が靴を脱ぐ前に、やっておくべきことが山ほどあった。 14. 海外の名無しさん この話、残っている記録はグレーヴス本人が語ったものに遡るらしい。本人が語る武勇伝はどうしても角が取れて格好よくなるものなので、多少は差し引いて聞いておくくらいがちょうどいいと思う。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) 「そしてポンプは直り、船中の全員が拍手した」まで書いてあれば完璧だったのにな。自分で語る話には、だいたい最後に拍手が付いてくる。 16. 海外の名無しさん 乗組員がまるごと無能みたいに読めてしまうけど、当時の船乗りは志願してきた熟練工ばかりじゃない。街で捕まえてきて無理やり乗せた人間が混じっているのが普通だった時代だからな。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) 訓練にはお金がかかるからな。「濡れたらこれを回せ」以上のことを一度も教わっていない可能性は十分にある。そして雇った側は陸で無事に暮らしている。 18. 海外の名無しさん 医者が船の機械を直したというところが一番好きだ。本を読んで理屈がわかるのと、揺れる船底で手を動かして直せるのはまったく別の能力で、この人は両方を持っていたことになる。 19. 海外の名無しさん 靴の革を使うという発想にたどり着くまでが本当にすごい。ただ、その手順の最初の一歩が「まず足から靴を脱ぐ」であることだけは間違いないと思う。そこだけは自信がある。 20. 海外の名無しさん その人の名前がついた病気を、こっちは今も抱えている。見つけてくれたことには感謝しているけれど、正直、名前を見るたびに複雑な気分になるんだよな。 21. 海外の名無しさん(>>20への返信) 自分も同じだ。薬で落ち着いている時期もあれば、数値が思うように安定しない時期もある。人によって経過がかなり違うらしいので、他人の話をそのまま自分に当てはめないほうがいい、というのが通院して学んだことだ。 22. 海外の名無しさん ドイツ語圏の医学書だと同じ病気が別の医師の名前で呼ばれていて、しばらく別々の病気だと思い込んでいた。国が変わると名前まで変わるのは、患者の側からすると地味に困る。 23. 海外の名無しさん 嵐の中で全員助かったという話のはずなのに、コメント欄が革の耐久性と整備記録の話で埋まっていくの、この掲示板らしくて笑ってしまった。 まとめ 甲状腺の病気に名前を残した医師が、嵐の船で救命ボートを斧で壊し、自分の靴の革でポンプを直して全員を陸まで連れ帰った——という、医学史というより冒険譚に近い話だった。海外のコメント欄では「台詞が格好よすぎる」という称賛と、「乗り合わせていたら絶対に許せない」という反発が同時に並び、そこから「当時の船に全員分の救命ボートはなかった」「そもそも数ペンスの革の予備がなかったのが元凶だろう」と、話題は英雄譚から整備不良の追及へ流れていった。最後に「この話の出所は本人の語りらしい」という冷めた指摘まで出てくるあたりが、いかにもこの掲示板らしい落ち着き方だったと思う。 元ソース: バセドウ病(グレーヴス病)の発見者ロバート・グレーヴス医師は、ポンプの壊れた船で嵐に巻き込まれたことがある。脱出しようとした乗組員の救命ボートを斧で壊し、自分の靴の革でポンプを直して、乗っていた全員が生還した The post 「一緒に沈もうじゃないか、良い仲間と別れるのは惜しい」救命ボートを斧で壊した医師の話、知ってた? appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…