1 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:26/05/19(火) 10:20:30 ID:JMxP すこ 慶長5年(1600年)、嫡男・光成とともに老齢93で会津征伐に従軍し[注釈 5]、石田三成挙兵を知るが、上方に妻子を取られた諸士の帰国を許すという徳川家康に対して率先して恩義に報うべく東軍に与すると言って、関ヶ原の戦いに参加。 次男光政や三男光俊は西軍に与した[注釈 6]が、大島勢は東軍で武功を挙げたことから、光政や光俊の罪は許され、却って戦後に家康から真壺・大鷲を与えられた[1]。また、美濃国の加治田村、絹丸村、川辺村、武儀郡、大迫間村等、摂津国の伏見内の地も加わり、1万8,000石に加増された。このとき幕閣の本多正純から豊後国臼杵城主に推挙されたが、辞退している[3]。また南部利直が家康に献じた鷹二羽を賜り、公儀の鷹場の利用も許された。関ヶ原の1年後、家康に堀尾可晴、猪子一時、船越景直らと共に呼び出され、昔話などをしたと伝わる。 慶長9年(1604年)8月23日、97歳の長寿をもって死去した。生涯53度の合戦に臨み、41通の感状を得たと伝わる[2]。死後、家督は自身と共に東軍に与した光成が継いだが、所領を4人の息子たちに分知、それぞれ1万石以下の旗本となり、ここに関藩は廃藩となった。 2 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:26/05/19(火) 10:21:51 ID:YXFF 主君 長井道利→織田信長→斎藤利堯→丹羽長秀→長重→豊臣秀吉→秀次→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠 三傑全員に仕えてるのすごいわ…