
1: 仮面ウニダー ★ 2026/04/17(金) 12:37:21.46 ID:n1Y7YuNm 1945年8月、広島・長崎に原爆 韓国人約7万人が被爆し、約4万人が死亡 「日本は米国を相手に戦争を起こし、戦う過程で原爆が投下されました。ですから、日本は真の被害者ではありません。原爆の本当の 被害者は、日本に連れて行かれて被爆した韓国人たちです。ところが、この事実を私たち国民もよく知らないのに、他の国の人たちが どうやって知ることができるでしょうか」 5年ごとに開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議などで、韓国人の原爆被害の実情を証言するため、今月20日に米国へ向かう 韓国原爆被害者協会陜川(ハプチョン)支部の シム・ジンテ支部長(83)は16日、「生きているうちの最後のチャンスだと考え、 全力を尽くして国際社会に韓国の原爆被害の実情を伝えたい」と語った。 シム支部長は、1945年8月に日本の広島と長崎に原爆が投下された際、被爆した原爆被害者。両親は慶尚南道陜川出身で、1940年に 日本の広島へ渡った。日本語に堪能だった父親は軍属として働き、母親は軍需工場で弾薬箱を作っていた。シム支部長は1943年1月9日、 広島で生まれた。 米国は1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆を投下し、日本を屈服させた。当時、23万人余りが被爆して命を落としたが、 日本に住んでいた朝鮮半島出身者も7万人余りが被爆し、4万人余りが亡くなった。1945年8月15日の解放以降、生存者2万3千人余りが 故国に帰った。かろうじて助かったシム支部長の両親も、幼い息子を抱いて故郷の陜川に帰ってきた。 「米国は謝罪しましたか、補償しましたか。日本は謝罪しましたか。韓国政府は何をしたのですか。米国の顔色をうかがって、 日本の顔色をうかがって、一体何をもって自主国家といえるでしょうか」。シム・ジンテ支部長は声を荒げた。 シム支部長と共に米国へ向かうハン・ジョンスン韓国原爆2世患友会会長(67)は、両親が広島で被爆したが、 その後遺症を受け継いだ原爆被害の2世だ。 ハン会長は「命は助かったものの、父も母も後遺症に苦しんだ。被爆当時、母のお腹の中にいた兄は、生後間もなく原因不明のまま 死亡したという。両親は韓国に戻り、2人の息子と4人の娘をもうけたが、全員が若い頃から脳梗塞・心臓病・大腿骨頭壊死症・めまい などを患った。3世代目である私の息子や甥たちも、脳梗塞などの後遺症に苦しんでいる」とし、「母はすべてが自分の責任だとして、 子どもたちに申し訳ないという思いから、原爆のことは口に出すことすら禁じていた」と語った。 ハン会長は「受け継いだ病気と貧困のせいでまともに学ぶこともできず、今までかろうじて命をつないできた」とし、 「今回米国に行ったら、死んでもいいという覚悟で、命をかけて私たちの真実を伝えたい」と述べた。 ー中略ー 「韓国人原爆被害者支援のための特別法」は、キム氏が亡くなってから11年後の2016年5月19日になってようやく制定された。 だが、同法は被害者の範囲を、1945年8月に日本の広島と長崎に投下された原爆で被爆した本人と、当時胎児だった人に限定している。 被爆後遺症の遺伝がまだ科学的に証明されていないという理由からだ。このため、被爆の後遺症に苦しむ子孫の数はまともに把握 されていない。 ー中略ー 彼らに同行する平統サの活動家、イ・ギウン氏は「NPT再検討会議などでの発表を通じて、朝鮮半島が全世界の核対立の中心地 として浮上している点を指摘し、朝鮮半島の非核化を実現すれば朝鮮半島が世界の非核化の出発点となり得ることを伝えたい。 今回の米国訪問を通じて、韓国の原爆被害者問題が国際社会に広く知られ、核対立が深刻化する朝鮮半島で核の惨禍の再発を防ぐための 国際的な共感と支持が拡大することを期待している」と語った。 チェ・サンウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr ) 全文はソースから 登録:2026-04-17 06:37 修正:2026-04-17 07:51…