1: 樽悶 ★ hsw+0EYE9 2025-11-08 23:40:31 日本人のルーツを探る手がかりとなる縄文人や弥生人のDNA研究。山口県下関市で開催された日本人類学会大会では、縄文人が1万5000年近く続く縄文時代を通して、遺伝子的にユーラシア大陸から隔絶されていたとする発表など、実像に迫る研究成果が相次ぎ報告された。 「縄文人には強い遺伝的な連続性がある」。東京大大学院ヒトゲノム多様性研究室の加藤雅彦さん(博士課程3年)は学会で、縄文時代に大陸からの大規模な遺伝子流入は起きなかったと発表した。 東邦大の水野文月講師らが縄文早期の居家以岩陰(群馬県)、前期の轟貝塚(熊本県宇土市)、中期の三ツ沢貝塚(神奈川県)、後期の摩文仁ハンタ原(沖縄県糸満市)など各遺跡で出土した古人骨の全ゲノム(生物の設計図にあたる全遺伝情報)配列を解析。加藤さんらが後期の船泊遺跡(北海道)などを加えた9個体について時代の経過に伴うゲノム成分の変化を調べた。 高次元データを圧縮し、構造を簡潔に表現するPCAと呼ばれる手法で解析した結果、各縄文人の遺伝的特徴は、時代差があるにもかかわらず、ばらつきがなく、連綿と受け継がれてきたことが分かった。一方、半島との交流が考古学的に証明されている弥生人、古墳時代人、子孫の現代日本人は大きなばらつきがあり、縄文人の遺伝子は、大陸にはほぼ残っていないことも踏まえると、縄文人は大陸との交流がなく、独立して存在していたことが判明した。 (省略) 現在の日本人集団は紀元前10世紀頃から、縄文人と大陸から渡来した人たちが混ざり合って形成されたと考えられている。実際にどのような人が来たのかを知る糸口が、下関市の土井ヶ浜遺跡で出土した弥生時代の人骨だ。 同研究室の大橋順教授は、学会の公開シンポジウムで、土井ヶ浜の弥生人骨についても、高精度の全ゲノム解析が行われたことを報告。祖先がどの集団に由来するかを示す遺伝的要素について、土井ヶ浜の弥生人は縄文人、東アジア人、北東シベリア人の三つの成分を併せ持っていたことが分かったと報告した。「これは現代日本人も同様で、弥生時代の段階から現代につながる遺伝的基盤はできていた」と指摘した。さらに、現代の中国の漢民族よりも朝鮮半島の人々に遺伝的特徴が近く、移住ルートが朝鮮半島経由だったことも裏付けられたとした。 大陸からの移住を巡っては「弥生時代に北東シベリア系、古墳時代に東アジア系が入ってきた」との説もあるが、大橋教授は「土井ヶ浜人につながる朝鮮半島の人は、両方の遺伝的特徴を既に持っていた。遺伝的に全く異なる集団が段階的に移住してきたのではなく、両方の成分を持つ人々が継続的に日本に渡ってきたと考えられる」と述べた。 (省略) ◆土井ヶ浜遺跡=響灘に面する緩やかな砂丘上にある弥生時代前~中期の埋葬場跡。約300体の人骨が出土した。頭骨は、顔が長い、鼻の付け根が平ら、高身長といった「渡来系弥生人」の特徴を示し、当時の埋葬様式や生活、交流の姿を今に伝える。 11/2(日) 11:01配信…