
1: 2025/09/29(月) 11:19:15.44 ID:ODyWRp6k9 2025年09月29日 1990年代に活躍した、人気ビジュアル系ロックバンド「SIAM SHADE」。2002年に解散後も期間限定で4度復活しているが、2016年を最後にグループとしての活動は止まっている。そのメンバーの1人・DAITAが残りのメンバー4名を相手取って今年の8月、東京地裁に訴訟を提起したことは【前編】で詳述した。DAITAが求めているのは、自らが作曲、編曲した38の楽曲の演奏と、「SIAM SHADE」名での活動の差し止めだ。なぜ5名のメンバーは1:4に分かれて争うことになったのか。【後編】では、DAITAが初めて解散の真相について明かした。 SIAM SHADEは1993年に結成され、1995年にデビュー。メンバーは、DAITAの他に、NATCHIN、栄喜、KAZUMA、淳士の5名である。活動時の所属事務所はアミューズ、レーベルはソニー・ミュージックエンタテインメント。1997年には「1/3の純情な感情」が80万枚のヒットを記録し、一躍メジャーとなった。解散は2002年。当時、その理由は「5人それぞれが自分の道を歩いていくことが最善」などと説明されていた。しかし、今年8月に提出した訴状の中で、DAITAははっきりとこう述べている。 〈解散理由は、2001年11月、被告今村(=メンバー・栄喜のこと)がマネージャーに暴行を働き、レーベルの代表者が、事態を重く見て「解散をするように」と勧告したためである〉 事実であれば衝撃的な内容である。 続きはソースをご覧ください 以下要約 SIAM SHADE解散の真相と対立の経緯 DAITAが訴状で初めて明かした解散理由:2001年11月、栄喜がマネージャーに暴行し、レーベル代表が解散を勧告 バンド内の亀裂はデビュー1〜2年後から始まっていた CD売上不振の焦りから栄喜によるメンバー・スタッフへの暴力行為が増加 主な暴力事件 1999年4月:鹿児島公演後に栄喜がメンバー・スタッフに暴行、メンバー1名が入院 翌日の熊本公演が中止に追い込まれる 2001年11月:名古屋での打ち上げ中、栄喜がチーフマネージャーを暴行 マネージャーは眼底骨折の重傷 この事件直後にレーベル代表から解散を申し渡される 念願の日本武道館公演(2001年12月)を控えた時期だった 解散後の状況 2002年3月:日本武道館で解散公演 解散ライブ後のDVD制作中にも乱闘が発生、警察沙汰に 限定復活公演も内部対立は続き、ボイコット防止のため賠償金条項付き誓約書を交わす事態に 印税配分にも問題:本来は作曲・作詞・編曲者にそれぞれ3分の1とする合意があったが、実際は異なる分配が行われていた メンバーが1:4に分かれた理由 DAITAと栄喜の距離が最も遠かった NATCHINが栄喜と仕事を共にするようになり、他のメンバーもNATCHINと距離が近かった 結果としてDAITA対他4名という構図になった DAITAのファンへのメッセージ 沈黙を破って真相を語ったことは「責任の取り方のひとつ」と考えている SIAM SHADEを「唯一無二のバンド」と今でも誇りに思い、音楽活動を続けていく決意 ※NATCHINと栄喜側は取材に対して回答なし 私 DAITAは、ファンの皆様、関係者の皆様に対し「SIAM SHADE DAITA」として、過去、そして現在の1:4 訴訟事案に関する「真相」についてお話しさせていただきます。 その詳細につきましては、オフィシャルウェブサイト内の【MESSAGE】をご覧下さい。 #guitar pic.twitter.com/Fm5FHsbZzi — DAITA (@De_sus_Rock) September 30, 2025 SIAM SHADE YouTubeチャンネル 「 SIAM SHADE解散の真相「ボーカルがマネージャーを殴り、病院送りに」「メンバー間の乱闘で警察が来たことも」 」の…