1: ばぐっち ★ 2024/03/30(土) 22:06:04.51 ID:??? TID:BUGTA 自分は理系だから歴史のことはよくわからない。文系の自分が最新のテクノロジーを理解できるはずがない──。そう思い込んでいないだろうか。 昨今では、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)を総合的に学ぶSTEM教育に、Arts(芸術・教養)を加えたSTERM教育を文部科学省が推進している。また、複数の学問にまたがったテーマを研究する学際的研究にも注目が集まりつつある。 生物学者で、起業家でもある高橋祥子氏は、理系、文系を分ける現在の教育に異を唱えている。理系・文系分けをするデメリットとは何か、今後、求められる教育はどのようなものか──。 ──政府の教育未来創造会議やこども未来戦略会議に有識者として参加し、「文系・理系を分けることはおかしいのではないか」という提言をしていると聞きました。なぜそのような考えに至ったのでしょうか。 高橋祥子氏(以下、高橋):教育未来創造会議では、日本の研究開発や科学技術の国際競争力の相対的な低下が、大きな懸念事項として取り上げられました。 また、先進国の中で唯一日本はSTEM系人材の割合が減少傾向にあります。 気候変動や世界的な食料危機、少子高齢化といった、今後さらに深刻化していくであろう社会問題の解決には、科学技術が必要不可欠です。それに携われる、対応できる人材が少ないというところが、今の日本の危うい状況です。 そのような状況を打開するためには、大規模な人材育成改革、教育改革が求められます。その改革案の一つとして、従来のような高校で文系と理系を分ける人材育成方法を見直すべきではないかと私は考えています。 人それぞれだとは思いますが、現在のような教育方法では、大学で理系に進学する場合はいわゆる文系の基礎知識を学ぶ機会がほとんどありません。文系の大学に進学する場合も、理系の基礎的な知識を得ることなく大学に進学し、社会に出ることになります。 社会に出て、さまざまな意思決定にかかわる立場となったとき、文系の知識のみ、理系の知識のみでは、正しい判断をすることは困難です。そういった意味で、せめて高校では文系理系を分けずに、さまざまな教養に触れる機会が必要ではないかと提言しました。 ──高橋さんご自身は、いわゆる「理系」ですが、それによって、不都合な経験をしたことはありますか。 高橋:理系であるということが、私自身にマイナスに働いたことはありません。ただ、「文系」の人と話しているときに少し違和感を憶えることはあります。 50代、60代の方とお話する際に、「私は文系なので、高橋さんのお話はわからないかもしれない」と言われることがあります。そのくらいの年代の方なら、文系の学部に在籍していたのはもう何十年も前のことです。にもかかわらず、皆さん、ご自身の出身学部をずっと引きずっている。 ゲノムやAI、ロボティクスといった技術は、研究の歴史こそ古いですが、社会に出てきたのはここ10年の話です。なので、必要とあらば文系・理系、老若男女問わず、学んで然るべき分野です。 ただ、日本では「自分は文系だから」「理系だから」という心理的な縛りが、なぜか生涯にわたり根強く残ってしまう。そのため、新しい技術を学ぶことを拒絶してしまっている人が、多少なりとも存在することは確かです。 今後も、新しいテクノロジーがどんどん出てきます。そのときに、どう反応していいかわからないとなると、少々やっかいです。人間は、よくわからない未知のものに対して、リスク回避のため拒否反応を示します。せっかく新しいテクノロジーが出てきても、社会実装に時間がかかってしまうという事態を引き起こしてしまいます。 文系・理系という括りが、心理的な束縛をつくり、社会に悪影響を及ぼしているということを、皆さんには認識していただきたいと思っています。 そもそも、生物学的に見たときに「この人は理系の人間」「あの人は文系の人間」なんてきれいに分けられるはずがありません。今の日本の社会がそのような分け方をしているから、「自分は文系だから理系のことはわからない」と錯覚が生じてしまっているだけです。(抜粋) 引用元: ・【教育】日本人の「文系」「理系」呪縛…もう「文系だから」「理系だから」というのはやめよう…