1: ニーニーφ ★ PxF7wf2I9 2025-08-29 16:27:21 ゴール前で絶叫する魂の競馬実況や、「マルカトーレ青嶋」と親しまれたハイテンションなサッカーのナレーションなど、数々の名場面を言葉で彩ってきたフジテレビの青嶋達也アナウンサーが、8月末で定年退職を迎える。9月からはフリーとして現在の担当番組を継続しながら、新たなチャレンジにも意欲を示した。 スポーツ実況を中心に活躍してきたが、「バックボーン」だというのは、若手時代のニュースキャスターの経験。そこで受けた大先輩・木村太郎の金言や、「花の三人娘」と呼ばれた同期アナとの関係性、山形での新たな舞台、家族や後輩たちへの思い、そしてもちろん競馬&サッカー実況の裏側まで、たっぷりと話を聞いた――。 ――競馬やサッカーの実況で長年にわたり大きな存在感を示してきた青嶋さんですが、そもそもなぜアナウンサーを目指したのですか? テレビも好きだったのですが、ラジオが好きだったんです。ただ、ニッポン放送の試験を3回受けるチャンスがあったものの、3回とも落ちてしまいまして。 ――3回もですか!? バブル時代の当時は大学3年にも受けるチャンスがあって、それが1回目で落ちて。4年で一般職とパーソナリティ職で2回受けたのですが、どちらもダメでした。そんな中でフジテレビを受けたのですが、「どうせまたダメだろう」と思って仲間と渋谷でベロンベロンに飲んだくれた後、住んでいたアパートに朝方帰ったら、ウグイス色の固定電話が鳴って、それが内定の連絡でした。そこから37年です。 ――ラジオはどんな番組を聴いていたのですか? AMラジオは夜になると全国いろんな局が東京でも入ってくるので、いろんな番組を聴いていたのですが、小島一慶さん(当時・TBSアナウンサー)や吉田照美さん(同・文化放送アナウンサー)など、とにかく聞こえる範囲でいろいろ聴いていましたね。 ――そうすると、バラエティ番組の司会などを志望されたのでしょうか? バブル期の男子ですから、“認められたい・目立ちたい・褒められたい・評価されたい”という気持ちは、なくはなかったです(笑)。当時は久米宏さん、筑紫哲也さんとニュースキャスターが存在感を放ち始めた時代。さらに古舘伊知郎さんがテレ朝を辞めて幅広く活躍され、逸見政孝さん(元フジテレビアナウンサー、88年3月退社)とはちょうど入れ違いで入社しました。そういうのもあって、やっぱりキャスターというものにも憧れていましたね。 一方で、音楽やスポーツの現場に足を運んで、“まだ誰も気づいていないけど、この人すごいぞ!”という原石を見つけて、光を当てて紹介したいなという思いも、ぼんやりとありました。それは『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)で、林美雄さんがライブハウスに通って見つけたアーティストを紹介して、人気に火がつくというプロセスがあった、という話を本で読んで感銘を受けていたからなんです。 記事の続き・全文はソースをご覧ください 8/29(金) マイナビニュース…