1985年7月10日の夜、ニュージーランド最大の都市オークランドの港で、環境保護団体グリーンピースの船「レインボー・ウォーリア号」が2つの爆発物で沈められた。船にいた写真家のフェルナンド・ペレイラさんが亡くなった。爆弾を仕掛けたのは、ニュージーランドにとって古くからの友好国であるフランスの情報機関の工作員だった。友好国の港で起きたこの事件は、40年あまりたった今もニュージーランドで語り継がれている。 今日の知ってた? 📅 1985年7月10日、オークランド港に停泊中のグリーンピースの船が2つの爆発物で沈没 🕵️ 仕掛けたのはフランス対外治安総局(DGSE)の工作員。同年9月にフランス首相府が認めた 🕯️ 写真家フェルナンド・ペレイラさん(35歳)が、沈む船の中で溺れて亡くなった ⚖️ 逮捕された2人は禁錮10年の判決を受けたが、翌年フランス領の環礁へ移され、3年の約束を待たずに本国へ戻った 背景:レインボー・ウォーリア号とムルロア環礁 レインボー・ウォーリア号は、トロール漁船を改装したグリーンピースの旗艦だった。当時フランスは、南太平洋のフランス領ポリネシアにあるムルロア環礁で核実験を続けていた。タヒチの南東約1,200キロにある環礁である。船はその核実験に抗議するため現地へ向かう予定で、途中オークランドに寄港していた。 爆発が起きたのは真夜中近く。グリーンピース・ニュージーランドの記録によれば、爆発物は2つで、1つはスクリューの近くに、もう1つは機関室の外壁に取り付けられていた。船は港に係留されたまま沈んだ。 亡くなったフェルナンド・ペレイラさんはポルトガル生まれの写真家で、国連の文書ではオランダ国民と記されている。35歳の誕生日を迎えたばかりで、フランスの核実験を記録し、その写真を世界に届けるために乗り込んでいた。家族には内縁の妻と、2人の幼い子どもがいた。 捜査は早かった。爆破の2日後の7月12日、スイス人の観光客夫婦を装っていた男女2人が、ニュージーランド警察の事情聴取を受けて逮捕された。2人はDGSEの将校で、アラン・マファール少佐とドミニク・プリウール大尉だった。当初は殺人などの罪で起訴されたが、11月4日、オークランドの地方裁判所で故殺と、爆発物で船を壊した罪を認め、それぞれ禁錮10年の判決を受けた。 ※注:故殺(manslaughter)は、ニュージーランドの法律で、殺人罪(murder)にはあたらないが責任を問われる人の死を指す罪。 フランス政府は、はじめ関与を否定していた。しかし1985年9月22日、フランス首相府は声明で、船がDGSEの工作員によって指示のもとに沈められたことを認めた。グリーンピースの記録では、ローラン・ファビウス首相がテレビで「DGSEの工作員がこの船を沈めた」と述べている。一方で、作戦に加わったほかの工作員は裁かれていない。グリーンピース・ニュージーランドの事務所に潜り込んでいた女性工作員や、偽名を使っていた潜水工作員の1人は、ニュージーランドの法廷に立たなかった。 もう少し詳しく 貿易を絡めた圧力と、国連事務総長の裁定。フランスは2人の即時返還を求め、ニュージーランドは服役を続けさせる立場を崩さなかった。この対立に貿易が絡む。国連に提出された記録によると、1986年4月、フランスのミシェル・ノワール貿易相がラジオで、ニュージーランド産バターの輸入禁止をヨーロッパ共同体(EC)に求めることもありうると発言した。それ以前にも、フランスの輸入業者が羊の脳や羊毛の通関の遅れを訴えていた。両国は解決を国連事務総長に委ね、1986年7月6日に裁定が出た。フランス首相がニュージーランド首相に正式で無条件の謝罪をすること。賠償金はニュージーランドの900万ドル以上、フランスの400万ドル以下という主張の間を取って700万ドル(米ドル)とすること。2人はヨーロッパの外の孤島にあるフランス軍の施設に3年間とどまり、両政府が合意しない限り島を出ず、報道機関とも接触しないこと。そしてフランスは、ニュージーランド産バターのイギリスへの輸入や、羊肉の貿易協定の実施を妨げないこと、という内容だった。 遺族への補償。同じ文書には、フランス政府がペレイラさんの遺族に補償を支払ったことも記されている。内縁の妻には本人分として65万フラン、2人の子どもには合わせて150万フラン、両親にもそれぞれ7万5,000フランが支払われた。グリーンピースとの間でも、1985年12月に和解が成立していた。 3年の約束は守られなかった。2人は1986年7月22日、フランス領ポリネシアのハオ環礁にある軍の施設に移された。ところがマファール少佐は1987年12月、体調の悪化を理由に、ニュージーランドの同意を得ないままパリへ移された。プリウール大尉は、同じく将校の夫と島で暮らしていたが、1988年5月、妊娠を理由に本国へ戻された。このときもニュージーランドは同意していない。両国は再び争い、1990年4月30日に仲裁裁判所の判断が出た。マファール少佐を移したこと自体は違反ではないが、1988年2月以降も島に戻さなかったのは違反、プリウール大尉の移送はニュージーランドの同意を誠実に求めずに行ったもので違反、というものだった。ただし、島にとどまる義務は1989年7月22日で期限が切れたとして、2人を島に戻すよう求めるニュージーランドの訴えは退けた。違反を公に認定したことをもって償いとし、両国の市民の友好のための基金をつくってフランスが200万ドルを拠出するよう勧告した。判決では禁錮10年だった2人は、島での3年の滞在すら全うしないまま、フランスの暮らしに戻ったことになる。 沈んだ船のその後と、30年後の謝罪。レインボー・ウォーリア号の船体は、1987年12月2日、ニュージーランド北部ノースランド地方のマタウリ湾沖、カヴァリ諸島の近くに沈められた。地元のマオリの部族ンガーティ・クラが眠る場所を提供し、いまは魚の保護区とダイビングの名所になっている。近くには、地元の部族などの依頼で彫刻家がつくった記念碑も建てられた。グリーンピースはその後、2代目(1989年)と3代目(2011年)のレインボー・ウォーリア号を就航させている。そして事件から30年後の2015年、船体に爆弾を取り付けた潜水工作員だったジャン=リュック・キステール元大佐が、フランスの調査報道サイト「メディアパルト」とニュージーランドのテレビ局TVNZの取材に応じ、長い沈黙を破って謝罪した。謝罪はまずペレイラさんの遺族、とくに娘のマレルさんに向けられ、その夜船にいたグリーンピースのメンバーと、ニュージーランドの人々にも及んだ。キステール氏は、自分は「事故による死」と呼ぶが遺族は「暗殺」と考えている、と認めたうえで、「無実の人の血が私の良心にのしかかっている」と語った。一方で「命令に従わなければならなかった。私たちは軍人だった」とも述べている。グリーンピースは「謝罪でフェルナンドが戻ることはないが、私たちの仲間が無実の人だったことを改めて示すものだ」と応じた。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 友好国の港で、よその国の政府が爆弾を仕掛けて人が亡くなった。ニュージーランドは二度の世界大戦でフランス側に立って戦った国なのに。何度読んでも腹が立つ。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 爆破そのものより、捕まったあとの態度がこたえたって人は多いね。2人を返さないならバターの輸入を止めさせるぞ、みたいな話まで出てきた。小さな国の足元を見たやり方だよ。 3. 海外の名無しさん 地元の警察が2日で工作員を捕まえたのは本当に見事だった。なのに外交の話になった途端、国の大きさの差で押し切られた感じがある。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) こっちの裁判所で禁錮10年が出たのに、国連の裁定で「南の島の軍の基地で3年」に変わって、しかもそれすら最後まで守られなかったからね。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 1人は体調を理由に、もう1人は妊娠を理由に本国へ戻ってる。妊娠したほうは夫も島に一緒に住んでたんだよな。後の仲裁でもフランスの違反が認められたけど、2人が島に戻ることはなかった。 6. 海外の名無しさん 亡くなったペレイラさんは、核実験を記録するために乗ってた写真家なんだよね。小さい子どもが2人いた。政治の話より先に、まずそこを忘れたくない。 7. 海外の名無しさん そもそもフランスは何がしたかったんだ?って最初は思った。調べたら単純で、太平洋での核実験を邪魔されたくなかった、それだけなんだな。 8. 海外の名無しさん(>>7への返信) 船はムルロア環礁へ抗議に行く途中だった。現地で騒がれる前に、港にいるうちに動けなくしておきたかったんだろう。結果的に、世界中の注目を集めることになったけど。 9. 海外の名無しさん 作戦がずさんだったって話はよく聞く。観光客の夫婦のふりをして入国して、爆破から2日で捕まってるし。凄腕の諜報機関のイメージとはだいぶ違う。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) スパイ映画みたいな完璧な工作を想像すると拍子抜けする。でも、そのずさんな作戦で人が1人亡くなってるんだから、笑い話にはできないよ。 11. 海外の名無しさん 1987年に出たウォーハンマー40,000の最初のルールブックに、「レインボー・ウォリアーズ」っていう名前のスペースマリーンの戦団が載ってるらしい。時期的に、たぶん偶然じゃない。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) ゲームの設定に名前が残るくらい、当時のイギリスやヨーロッパでも大きなニュースだったってことだよね。 13. 海外の名無しさん あの夜、爆発の音で目が覚めたのを覚えてる。オークランドに住んでたんだ。翌朝のニュースで何が起きたか知って、しばらく信じられなかった。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) 最近フランスの人と話す機会があったんだけど、この事件のことを知らなかった。向こうではあまり語られてないのかもしれない。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) 逆にニュージーランドじゃ、知らない人のほうが珍しいと思う。ネットでも普段の雑談でも、ことあるごとに話題に出てくるから。 16. 海外の名無しさん 2006年に、沈められた船体に潜ったことがある。船首がイソギンチャクにびっしり覆われて色とりどりで、名前のとおり虹みたいだった。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) 魚の住みかになって、潜った人が事件を思い出す場所になってる。あの船の最期として、すごくふさわしい弔い方だと思う。 18. 海外の名無しさん 祖母から聞いた話だと、戦争から帰ってきた年配の人たちが一番ショックを受けていたらしい。かつて一緒に戦った国が、自分たちの国でこんなことをするなんて、って。 19. 海外の名無しさん 国家ぐるみのひどい事件なのは間違いない。でも、こういう話題になるたびに「フランス人はみんな」って話になるのは違うと思う。近所のパン屋さんがやったわけじゃない。 20. 海外の名無しさん(>>19への返信) それはそう。実行したのは国の情報機関で、責任を問うべきは当時の政府。フランスの人たちをひとくくりにするのは筋が違うよね。 21. 海外の名無しさん 2015年に、爆弾を取り付けた元工作員がやっと謝ったんだよな。「無実の人の血が良心にのしかかっている」って。30年は長すぎるけど。 22. 海外の名無しさん(>>21への返信) 本人の口から出たことには意味があると思う。ただ本人は「事故による死」って言い方で、遺族は「暗殺」と受け止めてる。その差は埋まらないんだろうな。 23. 海外の名無しさん 15歳のとき、フランス語の授業で、フランスから来たアシスタントの先生とクラス全員で太平洋の核実験について大論争になった。みんな本気で怒ってた。この事件はニュージーランド人の記憶に深く刻まれてると思う。 まとめ 1985年、核実験への抗議に向かう途中のグリーンピースの船が、オークランドの港でフランスの情報機関に爆破され、写真家のペレイラさんが亡くなった。工作員2人は2日で捕まり禁錮10年の判決を受けたが、国連の裁定で南太平洋の環礁へ移され、その3年すら全うせずに本国へ戻った。コメント欄では、友好国に裏切られた怒りと、40年たっても忘れないという声が目立った。一方で、責めるべきは当時の政府で、フランスの人々をひとくくりにするのは違うという声もあり、沈んだ船がいまは魚の住む海の記念の場所になっていることに、静かな弔いを感じる人もいた。 参考資料 国連「国際仲裁判断集」第19巻「レインボー・ウォーリア事件に関する国連事務総長の裁定(1986年7月6日)」(1986年・英語/フランス語・PDF) 国連「国際仲裁判断集」第20巻「レインボー・ウォーリア事件をめぐる2協定の解釈・適用に関するニュージーランドとフランスの紛争(1990年4月30日の仲裁判断)」(1990年・英語/フランス語・PDF) NPR「1985年にグリーンピースの船を爆破したフランスの工作員が謝罪」(2015年・英語) グリーンピース・ニュージーランド「レインボー・ウォーリア号の爆破」(英語) 元ソース: 今日知った話:1985年、グリーンピースの旗艦レインボー・ウォーリア号が、フランス政府の工作員によってニュージーランドのオークランドの港で沈められ、1人が亡くなった。船はフランスの核実験に抗議に向かう途中だった 投稿 「核実験への抗議に向かう途中だった」フランスの情報機関がNZの港でグリーンピースの船を沈めた事件とは? は みんな知ってた?【海外の反応】 に最初に表示されました。…