1: 匿名 2026/08/12(水) 17:02:02 年8月9日、ソ連は日本との中立を守るとした条約を破棄。大軍が満州へと攻め込みました。8月12日、避難の列は、哈達河から西に約40キロ「麻山」にたどり着いたところで、ソ連兵に追いつかれます。先頭集団が銃撃に遭い壊滅。中央集団にいた団員たちは、身動きがとれなくなってしまいます。「ソ連兵に何をされるかわからない」麻山の農地に身を寄せた団員たちは、話し合いの末「集団自決」を選択したといいます。家族ごとに整列し、男性が妻子や親族らを銃で撃っていったといいます。銃声は1時間に渡り鳴り響きました。生き残った女性の証言:「弾のあたった瞬間のガサッという母の顎の骨の砕ける音が今もなお忘れられません。(中略)生きていることがわかれば頃されると思って私は母の氏体のかげで氏んだふりをしていました」『麻山事件』(中村雪子 草思社 1983年)より集団自決の現場を目撃した男性の証言(1984年取材)「きれいに並んで一家族ずつ6人ずつ固まって、氏にきれずに動いている方、はいずり回っている方、火薬のにおい、血なまぐさい状態、普通なら目にできない状態でした」犠牲者のうち宮城県旧南郷村出身者は81人を占めました。名簿によると、このうち1歳~10歳が31人、11歳~20歳までが23人と、子どもや若者だけで氏者の6割以上を占めていることがわかりました。麻山事件には続きがあります。妻子を手にかけた男性の一部は、その後日本への帰国を果たしているのです。ソ連兵に攻撃をしかけようとしたものの叶わず、生き延びたのだといいます。多くを語らず、郷里でひっそり暮らしたといいます。…