1 名前:七波羅探題 ★:2026/08/10(月) 06:58:06.47 ID:9wRnmYoV9.net (前略) 田舎って実質的に選択肢があってないようなものなんです。難関大学や国公立大学を目指せる進学校って、通学可能圏内に1校くらいしかない。校則以外にも、自分が通った地方の公立進学校と、都内私立中高一貫の違いを感じたのが受験の方針です。 本当にこれは地方(の一部)あるあるなのかもしれませんが、とにかく国公立至上主義! 入学した時から国公立大学を目指すんだ、当然そこに行くんだという教育をされました。もちろん、科目を絞るな、全教科まんべんなくやれ、という方針は悪いことではないのかもしれません。 でもいざ出願するとなった時に、過剰な指導があったんです。国公立大学を目指すとなると、どうしても都会や人口の多い地域の大学ほど偏差値が高くなるため、都会の国公立大に合格する学力がない生徒は、田舎だったり交通の便がよくない地域の大学を目指さざるをえなくなります。それでも都会に出たいという子は私立大学を目指すほうが現実的になってくるんです。 都会志向だった友人は、国公立大学で合格できるのはすごく田舎の大学のみだったので、東京に行くため、都内の私立大学を志望することに。すると担任との面談で大反対され、絶対に国公立も受けろ!と言われて半ば無理やり国公立も受けることになったんです。友人はわりと意思を伝えられる方なので、最終的に私立に行きたいと先生に「許可」を取りましたが、中には先生に強く言われて私立大学に行くこと自体をあきらめた生徒もいました。 この話を都内私立中高一貫出身の人に話すと絶句されたんです。「受験って本人がするものですよね? 受験料だって学校が払うわけじゃない。なんで学校がそこまで干渉するの? そもそも学校に“許可”をとる必要があるの?」そう言われて、その通りだなと思いましたね。あとあと知りましたが、やっぱり学校には国公立大学合格者数の目標があるので、ひとりでも多くするために、行き過ぎた干渉があったということだと思います。話を聞いた都内私立中高一貫・男子校の人によると、成績が全体の1/3に入っていれば東大にいけるそう。全国的に見てもトップオブトップなんだと思います。そのこととスクールカーストやグループ間の序列がないという現象に関連があるのかはわかりませんが、「上からの抑圧がないから人を抑圧する発想がない」「話し合いでも毎回中心的存在になる人は変わる」「ギャル男とガリ勉が大親友ということもありうる」という話を聞いて、そんなユートピアがあるなら経験してみたかったな、と思いました。 改めて、地方(特に田舎)は選択肢が本当に限られています。人口が少ない地域だと、進学校自体が地域にひとつしかなかったりする。もう必然的に選択肢はひとつしかないんです。 ただ、悪いことだけではないと思います。地方って、トップの進学校が「公立」であることが多いんです。これは貧しい家庭にとってはありがたいことだと思います。もし進学校が私立だったら、経済面であきらめていたかもしれないと思うんです。それに、選択肢がないって悪い側面だけでもないと感じます。小学校受験も中学受験もなく、難関大を目指すなら高校で地域で一番の公立進学校を目指せばいいのだから、すごくシンプル。勉強を頑張りたい子はそこを目指せばいいんです。私立優勢な都会では「オール公立」ってあまりいい印象を持たれないと聞きますが、地方では優秀な人ほどオール公立になりがちだったりします。 そしてそこに入れば、地域中から勉強ができる子が集まっている。だから、医者の子どもだろうが、私のような極貧家庭の子だろうが、同じ学校で学ぶことになる。幼い頃から塾に通い、フル課金された子も、私のような塾・通信教育経験ゼロの子も、高校で合流するわけです。 貧しい家庭出身の身としては、逆に東京や関西みたいに進学校にもたくさん選択肢があって、熾烈な競争があるところに生まれていたら、もっと悔しい思いをしていたかも、と思うんです。お金があれば選べたのに、と思うこともあったかもしれない。校則ガチガチ、自由とはほど遠く、進路さえ干渉されるところしか選択肢がなかったことにはいろいろ思うところはありますが、もうそこしかなかったと思うと少しはあきらめもつきます。 どこに生まれるかで受験という一大イベントの選択肢が大きく左右されてしまうこの社会。選択肢がなく、その学校の中の常識がすべてだと思いこんでいたけれど、大人になっておかしかったところもたくさんあったと気付いたわけですが、当時気づいていても結局はどうしようもなく余計苦しかっただけかもしれません。それでも、世の中にはいろんな学校があって、いろんな常識がある、と知れていたら、もうちょっと世界の見え方が違ったのかな、なんて想像してしまいます。 ミモレ8/6 引用元:…