1. 匿名@ガールズちゃんねる 昭和二十年四月に特攻隊員となった上原の動きは、残されたわずかの日記から知ることができるが、五月一日に調布飛行場で訓練中の上原に妹の清子が面会している。清子は、かつて私に、自らの手帖を開いてその面会時の様子を書きとどめた頁を見せてくれた。 「これがニューヨーク爆撃なんて言うなら喜んで行くがな。死んでも本望だ」 「実際だ。心残りはアメリカを一ぺんも見ずに死ぬことさ。いっそ沖縄なんか行かず東の方へ飛んで行くかな」 「アメリカへ行かぬまえに、おだぶつさ」 「向うの奴ら(保阪注・アメリカ軍)何と思うかな」 「ホラ今日も馬鹿共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」 七、八人の学徒出身の特攻隊員はそんな言を吐きながら気を休めていた、と清子は証言する。清子の手帖には彼らの独り言も書かれている。そこには、「ああァ、だまされちゃった。特操(特別操縦見習士官)なんて名ばかり良くてさ。今度生れる時はアメリカへ生れるぞ」との言も残されている。 出撃する前の彼らは、自らの時代に決して納得していない。その感情が、新聞が自分たちを神にしていると書かせ、特攻隊員で死ぬのではなく戦場の片隅で死ぬ仲間に思いを馳せさせ、特攻隊員はわざわざ自殺しに来た馬鹿共だと冗談を言わせているのである。この人間味あふれた会話は彼らの本音であろう。 2026/08/05(水) 18:12:35…