
1: 匿名 2026/07/30(木) 20:53:40 ID:bL0lXZV89.net 戦中の日本軍部には多彩な人物がいた。現代史研究家の保阪正康さんは「満洲事変の英雄として名が売れた陸軍中将は『世界最終戦論』という本を出して、1984年に最終戦争が起きると言ったが、時期は当てずっぽうだとしても、世界史の流れを読む力はあった」という――。(省略)■最後はアメリカ対中国の戦いに?【保阪】しかしながら、石原の世界史の流れの読み方は、現在だと当たったことになりますよ。『世界最終戦論』の論旨からすると、最後は欧米のチャンピオンとアジアのチャンピオンが雌雄を決することになります。1991年にソ連が崩壊した後、アメリカ対中国になりました。石原とすれば、アジア方が日本ではないのが遺憾でしょうが。(省略)■「アメリカ嫌い」と日蓮宗の影響【大木】それと、思想的にはおそらく日蓮宗の影響が大きいと思います。日蓮宗がユニークなのは、他の宗派に対して戦闘的なところです。そこが石原の「アメリカ嫌い」と共鳴したのではないでしょうか。ドイツから帰ってきた時点で、もう後年のようなことを考えていたとは思えません。軍事や戦史について最新の知識を得たことと、戦略思想を構築することでは、ことのレベルが違いますから。【戸髙】日蓮宗は、文字通り日蓮自身の闘争的な生き方を信仰しているような宗派なので、軍人には共感するところが大きいのでしょう。【大木】石原の『世界最終戦論』は、果たして戦略論として認められるものかどうか。私が疑問に思うのはそこです。やはり飛躍のしすぎで、現実の戦略としては地に足が付いていない。(省略)同時期の欧米の戦略家たちは、もっと現実的です。たとえば、イタリアにドゥーエという人がいて、戦略爆撃などを提唱していますが、彼は戦争が始まったら、相手国の工業地帯や首都、大都市を空襲して、相手の継戦意志をくじくべきだとしている。当時の航空機の性能に即した、実行可能な戦略ですね。ところが、石原はやがて世界一周可能な飛行機が現れるとか、一瞬にして何万人を頃傷する爆弾が開発されるとか、その予見性はともかくとして、当時の技術水準に基づいた現実的な戦略を飛び越した方に行ってしまっています。やはり私は、『世界最終戦論』に示された思想は、戦略構想というよりも、宗教的なものに近いドグマだと考えます。【保阪】その指摘は当たっているでしょうね。石原の中の「アメリカ嫌い」が、日蓮宗の「他宗への攻撃性」と共鳴したという話も、なるほどと思いました。■著作もひとつの末法思想だったか【戸髙】石原は「日蓮宗信者」というよりも「日蓮ファン」だと思うのです。昔の軍人は、日蓮に惚れて日蓮宗に行く人が多い。その動機は、いわゆる仏教としての教理よりも日蓮という個人に対するシンパシー、生き方への憧れに近い気がしますね。【大木】日蓮宗では釈尊の滅後1500年、もしくは2000年を経て末法の世となり、仏教が廃れて人も世も乱れる、大変なことになると。巨大な破壊である第一次世界大戦を経験した当時の人々にとっては、おおいに実感されることで、それがいよいよ来たという発想につながっていたのかもしれませんね。(省略)■満州事変を起こしたが、日中戦争には反対【大木】石原莞爾は日米開戦時に独ソ和平工作をやれと言っていました。独ソ戦をやめさせれば、東部戦線につぎこまれているドイツの戦力が米英に向かうから、日本にとってはありがたいと考えていたようです。【保阪】良い悪いは別として、石原莞爾には一貫したところがあります。彼がタクトを振った満洲事変から一貫したものがある。『満蒙問題私見』(1931年)という文書では、将来の日米決戦、すなわち欧米文化と皇統文明の最終決戦の時のために、満洲を兵站地域として確保しておくのだと書いています。だから石原の頭の中では、満洲事変は彼の「世界最終戦」勝利のための一手段だったのです。あっちで右こっちで左と、グツグツ沸いている鍋を搔き回しに行くのではなく、行き着くところを見定めて着々と手を打とうとしていました。【大木】ただ、皮肉なことに、満洲事変がうまくいったのを見て、石原の後輩たちはこの手口を使って功績を上げようとばかりに、どんどん大陸に突っ込んでいきます。ついには、盧溝橋事件で日中戦争に突入してしまった。(以下ソース)7/29(水) 19:15配信ニュース「満洲事変を起こした張本人は俺なのになぜ裁かない」アメリカに主張し人気となった"陸軍の異端児"の実像(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース戦中の日本軍部には多彩な人物がいた。現代史研究家の保阪正康さんは「満洲事変の英雄として名が売れた陸軍中将は『世界最終戦論』という本を出して、1984年に最終戦争が起きると言ったが、時期は当てずっぽう…