
1: 2026/07/16(木) 20:46:07.50 ID:qs2ks6Ww9 国民的女優なのに代表作が浮かばない… 吉永小百合がそれでも愛され続けるワケ 吉永小百合ほど不思議なスターはいないかもしれない。誰もが名前を知っていて、多くの人が好意を抱いている。 それなのに、「好きな映画は?」と聞かれると答えに詰まる人も少なくない。なぜ人々は彼女に惹かれ続けるのか。 関川夏央による日活映画論『昭和が明るかった頃』(文藝春秋、2002年)は、次のような言葉から始まる。▼ ▲ 閉じる「長年、不思議に思っていることがある。それは吉永小百合の出る映画は、なぜつまらないかということである」。 「つまらない」かどうかはいったん措くとしても、このような問いが生じること自体が、吉永小百合という存在の「不思議」を示しているように思われる。 出演映画は120本を超えるのだから、彼女が文字通りの「スター」であることは疑い得ない。同時に、彼女の演じる役柄が固定的だったのも事実である。 吉永が体現したのは、高度経済成長期の前半の時代精神であり、「民主的で向上心にあふれた戦後」だったとも関川は述べている。 確かに、吉永が演じた役柄は、民主的で向上心にあふれる青春のイメージに収まるものが多い。戦後に対する評価と吉永に対する評価には、どこか通じる部分があるのだろう。 では、戦後日本の人びとは吉永小百合に何を求めたのだろうか。そして、彼女自身は何を考えて戦後を生きたのだろうか。自伝『夢一途』(主婦と生活社、1988年)から、吉永小百合の来歴を辿りつつ、この問題を考えてみたい。● 給食費が払えず「忘れました」 借金取りが来る家庭で育った 吉永は、1945年3月13日に東京・渋谷区に生まれた。いわゆる東京大空襲の直後である。生家は奇跡的に焼け残ったが、敗戦間際から直後の時期の食糧事情は悪く、吉永家はふたりの娘を育てるのに苦労したという。 父親はかつて外務省に勤めていたが、1943年に転職していた。新たな勤め先は、情報局に付設され出版統制を担った日本出版会だった。 戦後になって出版事業を立ち上げるも失敗。家計は火の車となり、家には税務署の役人が差し押さえに来たり、借金取りが来たりしたという。 吉永は小学生の時に、給食費が払えず、何度も「忘れてきました」と繰り返すという苦い経験をしたというが、彼女が芸能活動を始めたのは、両親の強い希望だけでなく、生活苦も影響していたのかもしれない。 1956年、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』の子役に応募すると、千葉周作の娘「さゆり」役に選ばれる(本名と同じ役名だったのは偶然である)。1959年には、『朝を呼ぶ口笛』で映画に初出演。 芸能活動が軌道に乗ると、勉強の時間を確保するのが難しくなるが、彼女の強い希望により都立駒場高校に進学した。普通の高校生活を望んでいた吉永だったが、学費は自分で稼いでほしいという母親の意向もあり、日活と専属契約を結んで芸能活動を継続することになる。 しかし、芸能活動と学業の両立は難しく、進級が困難となったため、1961年に精華学園高校に転入せざるを得なかった。同校は芸能人が数多く通う高校として知られていた。● 吉永の女優像を決定づけた 映画『キューポラのある街』 この頃、彼女は自身のキャリアにとって重要な映画に出演している。『キューポラのある街』(1962年)である。 吉永が演じたのは中学3年の主人公・ジュン。鋳物工場の近くの長屋に家族5人で住んでいる。彼女は父親の失業による貧困が理由で高校進学をあきらめるが、トランジスタ組み立て工場で働きながら、定時制に通うことに積極的な意義を見出していく。自分で人生を切り開くためには、自分で稼ぐしかない。その決断に至る中学3年生の緊張・葛藤がまぶしい。続きはリンク先 国民的女優なのに代表作が浮かばない…吉永小百合がそれでも愛され続…吉永小百合ほど不思議なスターはいないかもしれない。誰もが名前を知っていて、多くの人が好意を抱いている。それなのに、「好きな映画は?」と聞かれると… - news.yahoo.co.jp imgur.com/YfPOq1Y 2: 2026/07/16(木) 20:48:13.49 ID:nM2ixytR0 代表作がないってのは逆に理想的かもしれない 3: 2026/07/16(木) 20:50:16.39 ID:SV4xlckY0 吉永小百合の出てる映画一本も見たことないかもしれない 4: 2026/07/16(木) 21:09:08.63 ID:E16VuZLa0 10代でスターだったひとなんだから全盛期知ってる人は今の80代以上しかおらん 5: 2026/07/16(木) 21:21:03.52 ID:avxXTOLJ0 若い頃の作品とか古すぎて知ってる人は限られるということだけ。 6: 2026/07/16(木) 21:12:49.21 ID:j7zA2Bi30 確かに言われてみれば吉永小百合が代表する青春スター映画って当時の世代でなければ忘れ去られてる感じあるな 7: 2026/07/16(木) 21:01:34.72 ID:Fpt1SRBj0 吉永小百合は若い頃にヒット作連発したからだよだからお前らが知らないだけちなみに女優で1作品の観客動員数が最多なのはこの人大昔の記録だから知ってる人は少ない 8: 2026/07/16(木) 21:08:25.31 ID:5fR1qnRW0 10代のころは年間10本以上の映画に出てたそうだ。ほとんど撮影所に住んでたみたいなもの。 9: 2026/07/16(木) 21:06:09.02 ID:PMLkzqxN0 一番人気あったのは10代の頃でしょ。代表作は1962年にレコード大賞とった「いつでも夢を」ということになるよな。映画ということなら1964年「愛と死をみつめて」あたり。1980年代以降に大女優扱いを始めて以降駄作揃いだから扱いと実績にギャップができてしまった感じだな。 10: 2026/07/16(木) 20:48:29.64 ID:IUccO3O+0 伊豆の踊子だろ imgur.com/6lfdAlQ 11: 2026/07/16(木) 21:19:52.84 ID:9wN2hdlr0 伊豆の踊子はこの人のが一番好き。のちのちの浜田光夫とのコンピは清純すぎるんだよ。 12: 2026/07/16(木) 20:49:04.14 ID:Iozl7/ze0 キューポラのある街があるやん 13: 2026/07/16(木) 20:59:02.69 ID:+Ikvmmfo0 キューポラのある街はせつないよな北朝鮮に希望を膨らませて行く友達を吉永小百合が見送って、良いエンディングに見えて今思うと…。 14: 2026/07/16(木) 20:52:38.51 ID:4KUcXCOP0 夢千代日記 15: 2026/07/16(木) 20:53:14.73 ID:HBpkVvDL0 テレビでは夢千代日記 16: 2026/07/16(木) 20:58:41.74 ID:LIuh1+Sq0 いつでも夢を♪ じゃないの? 17: 2026/07/16(木) 21:15:43.62 ID:RbIvOiun0 吉永さんの作品は割と見てるほうだけど、一番好きなのは二宮和也の母親役をやった「母と暮せば」 18: 2026/07/16(木) 21:01:07.80 ID:EOnxCloA0 俺の大學の先輩が若い頃に共演したそうなのだが、何十年も経ってる上に今は一般人なのに、未だに年賀状くれるって言ってた 19: 2026/07/16(木) 21:17:29.31 ID:nksG+l0w0 この人が最後の大物昭和女優だろう 20: 2026/07/16(木) 21:15:44.90 ID:Q6V0rwpy0 キューポラ見れば そりゃ当時のおじさんはサユリストになるわな という代表作 引用元:…