
1: 少考さん ★ AT8uRs9S9 2026-07-08 09:46:49 沖縄「日の丸焼き捨て」裁判の元弁護人「当時の危惧が現実に」…国旗をとりまく不穏な動きに警鐘を鳴らす:東京新聞デジタル 2026年7月8日 06時00分 有料会員限定記事 1987年、沖縄県読谷村の国体競技会場で、男性住民が日の丸旗の掲揚強制に抗議し、引き降ろして焼き捨て、器物損壊などの罪に問われた事件。40年近くたち、日本国旗を傷つける行為を罰する「国旗損壊罪」創設法案の国会審議が進む今、男性の元弁護人は「当時、危惧されたことが現実になりつつある」と受け止める。日の丸にまつわる沖縄の記憶から、向き合うべき教訓とは。(太田理英子、安藤恭子) ◆国旗損壊罪法案は「民主主義を否定する危険な法律になる」 「国家の体制に従うことを強制する目的だと思わざるをえない。民主主義を否定する危険な法律になる」 那覇市の弁護士、池宮城紀夫(いけみやぎとしお)さん(86)は、険しい表情で語った。6月末に衆院を通過した国旗損壊罪法案は、かつて担当した事件の記憶を想起させるものだった。 1987年10月、国体のソフトボール競技会場となった読谷村の球場。開始式の最中、村でスーパーを営む知花昌一さん(78)がスコアボード上のポールから日の丸旗を引き降ろし、ライターで火を付けた。知花さんはその日のうちに那覇地検沖縄支部に出頭し、器物損壊などの疑いで逮捕された。 起訴され、翌1988年1月に刑事裁判が始まった。毎回、右翼集団が押しかけ、法廷内外で知花さんの支援者と激しく衝突。一審だけで5年に及んだ裁判を、池宮城さんは「『日の丸は国旗か否か』が最大の焦点だった」と振り返る。 ◆「本土と沖縄とでは『天皇・日の丸・君が代』への意識が違う」 当時、日の丸を国旗と定める法的根拠はなかったが、検察側は起訴状で、燃やされたのは「国旗」と記載した。弁護側は釈明を迫り、初公判から「日の丸論争」に。池宮城さんは「検察側には国家の意識を国民に植え付けようという意図があったと思う。『日の丸は国旗』との認識に司法のお墨付きを得たかったのだろう」とみる。 戦後、米軍の統治下に置かれた沖縄が日本に復帰したのは、1972年のことだ。知花さんは初公判で「ずっと日本だった本土と、屈辱の歴史と地上戦を経験した沖縄とでは、『天皇・日の丸・君が代』に対する意識が違う」と主張した。 大戦末期の沖縄戦で米軍の上陸地点となった読谷村。知花さんが住む集落の自然壕(ごう)「チビチリガマ」では米軍が迫る中、住民83人が集団自決(強制集団死)に追い込まれた。知花さんは終戦から38年後、生存者への聞き取り調査に加わった。凄惨(せいさん)な出来事の背景に「生きて虜囚の辱めを受けず」といった思想を強いる「軍国主義、皇民化教育」があったと法廷で訴えた。 ◆「沖縄にとって日の丸は、戦前の天皇制国家の象徴」 事件の前から沖縄は日の丸を巡り揺れていた。1986年に読谷村議会は掲揚押しつけへの反対を決議。高校の卒業式で、女子生徒が日の丸を引き降ろす事態も起きた。池宮城さんは「沖縄にとって日の丸は、戦前の天皇制国家の象徴。国家を守るため、多くの住民が地上戦で殺された歴史を意味するものでもあった」と語る。 本土復帰を目指す運動で米軍からの解放の象徴とされた時期もあったが、復帰後も米軍基地は維持され、基地のない沖縄という県民の願いは裏切られた。「日米政府への抵抗の中で、『血に染められた日の丸』と再認識されるようになった。国旗と認めるのは、犠牲の歴史をなかったことにされるのと同じだった」 知花さんは懲役1年、執行猶予3年の有罪判決が確定した。1993年の一審那覇地裁判決は「『国旗』とは『日の丸旗』を指すと理解できる」と判断。「日の丸旗に否定的な感情を有したこと自体は理解し得ないわけではない」とも言及した。 時を経て今、再び「国旗」を巡る不穏な動きに、池宮城さんは危機感を抱く。 ◆「軍国主義化、皇民化路線へ走った昭和10年代の動きを思わせる」 自民党や日本維新の会などの賛成多数で衆... 残り 1723/3298 文字…