1: 匿名 2026/07/06(月) 11:52:53 近代になると、東北の農村では多くの子供が生まれるようになった。これは一つには食糧生産が安定したためであり、またもう一つの理由として、村で抱えきれない余剰労働力を都市へ送り出すことが可能になったことも大きい。出稼ぎは江戸時代からすでに行われていたが、近代以降の都市における工業の発達は、それ以前とは比べ物にならない人口移動をもたらした。また、北海道に行き、ニシン漁業や炭坑労働に従事する者も多かった。 東北が多くの労働者を送り出していたのと比べると、九州からの出稼ぎはそれほど多くない。 冬に雪で農業ができない東北とは違い、九州では春から秋にかけて稲を育て、収穫から次の作付けまでに野菜や麦、豆などを育てる水田裏作が広く行われていた。そのため、出稼ぎが東北ほど必要とされなかった。また、九州は福岡、熊本、長崎などの大都市に加えて筑豊の工業地帯もあり、東北と比べると都市化が進んでいた。そのことも、九州の出生率が東北よりも低かった一因であろう。 「子供は労働力」「口減らしする必要もなくなった」戦前の東北の出生率が“驚くほど高水準”だった理由 | 文春オンライン「子どもは労働力」とされ、戦前は驚異的な高出生率を誇った東北地方。しかし江戸時代には飢饉による「口減らし」の歴史もあった。かつての多産地域は、なぜ戦後になって激変し、九州に逆転されたのか? 知られざる…文春オンライン…