
1: それでも動く名無し 2026/06/24(水) 21:52:35.064 64ユニ @64Uni_Lion東京ドームでのブーイングの件、まだ語ってる人がおりますし、今後もあるので個人的な意見(当たり前)をあっしも書きますよなお当日あっしは現地外野席におりました。ブーイング始まった時にひとブーだけやりましたが、なんかピンと来なくてその後はやってません。まず当日のブーイングですが、登場曲から『あの人』を連想したことによる『あの人』へのブーイングと、複数人がそれを面白半分に連動して楽しんだ形です。 2: それでも動く名無し 2026/06/24(水) 21:52:47.565 明確に言える事として、平良選手や歌手への批判ではありません。これは断言できますし、平良選手や歌手の方も自分達が批判されたと思っちゃうほど馬鹿ではありません。この辺りを指摘してる人もいましたが、それこそ平良選手や歌手の方を馬鹿にしすぎです。しっかりしましょう。ブーイングは拍手と並ぶ、「観客が意志を発する手段」です。意志の受け手は、プレイヤー(演者)だったり、他の観客だったりします。拍手は肯定的な意思表示に使われることが多いです。カーテンコールでの拍手はもちろん演者に向けたものですが、観客同士がプレイの素晴らしさを共有し確認し合う手段でもあるわけです。一方、ブーイングは不満やシニカルな意志発信に使われます。プレイヤー(演者)が酷い失敗や期待外れなプレイが続けば、ブーイングが飛びます。これも意志の受け手はプレイヤー(演者)だけではなく、観客同士で不満を確認し合う、意志確認にもなっているわけです。先日の東京ドームのブーイングですが、あの曲によって『あの人』が思い起こされた事への小さな不満と、それを複数のファンが共有し合うブーイングだったと理解してます。それほど違和感はないし、個人的には目くじら立てるほどの話じゃねえなと思っています。発端が邪(ヨコシマ)な色を持つ不満を発露することへの批判があるかもしれません。『あの人』への不満は分かるとして、それを今、関係無いここに、持ってくるなよ的な指摘です。これについては、発端が正(タダシ)であるか、邪(ヨコシマ)であるかを評価すること自体の妥当性に疑念があります。たとえば発端が正(タダシ)にみえる発露の例として、応援してるチームの投手がピンチの時にやる拍手があります。アレはもちろん投手がピンチでやんのザマア嬉しいではなく、投手がんばれ!の意志の発露ですね。あれはあまり批判の対象になる事はありませんが、プロの投手に対してズブの素人ごときが拍手で応援など、なかなか無礼な事なのです。さらに言えばプロの選手に対して「かっとばせ」コールするなど無礼の極みです。 3: それでも動く名無し 2026/06/24(水) 21:53:04.819 こういった選手へのど真ん中ストレートな無礼が、発端が応援という正の感情であるから認められる。一方で、特に当日の選手への批判でもないブーイングが、発端が邪に見えるから否定される。この対象的な構成を肯定するほど、発端の正邪がつよい力を持っているのかについては、個人的にはかなり疑問があります。『行為の発端が正しければ、どんな無礼を働いても許容されるのだ!発端が邪に見えるなら内輪の意志共有も徹底的に叩き潰す!』なんか悪の秘密結社みたいです。(なお、あなたは大丈夫だと確信していますが、あなたではない読解力のない糞馬鹿の為に一応書いておくと、投手への拍手や応援を否定する論ではありません)もうひとつの視点を。拍手もブーイングも、当日その場にいる観客の意思表示の手段です。現地の人には参加する・しないの自由だけがあり、現地に居なかった人には何の資格もありません。拍手もブーイングも、他人様に何かを言われる筋合いはないのです。ミュージカルの録画を観て『こんなのに拍手してるのかこの日の観客は!歌も演技も最低だろ!拍手してる奴はいままでロクな公演をみてこなかったんだな!』とか言ってる人が居たらなんかムカつくじゃないですか。実際、その日その場の雰囲気や観客間のコミュニケーション、その日そこに足を運んだ人の思いや期待が加味されての拍手なんですね。ブーイングも中継を観て、あまつさえブーイングの事実があった事だけを知って批判してる人が散見されるんですよね。いくらなんでもコミュニケーションを馬鹿にしすぎじゃないでしょうか。なお当日そこに居た事が批判の権利になることもありません。その日その場でブーイングをしない権利があるだけです。関連記事 4: それでも動く名無し 2026/06/24(水) 21:53:20.396 めっちゃ早口 5: それでも動く名無し 2026/06/24(水) 21:53:31.484 なげーよ 6: それでも動く名無し 2026/06/24(水) 21:53:31.494 長いわ…