1: 匿名 2026/03/15(日) 22:35:50 「僕は支援者失格」精神疾患の母と離れて14年。元ヤングケアラー「そうしなければ生きられなかった」現実|CHANTO WEB「母と離れなければ、自分は生きられなかった」。中2からヤングケアラーとして母を支え、専門資格まで得た坂本拓さんが辿り着いた答えは、決別という名の「自立」でした。共依存の沼を抜け出し、家族を再生させるために下した苦渋の決断と、その先にあった現実。CHANTO WEB 大きかったのは「生活保護」という制度の活用です。僕が援助しなくても母は自立できるとわかっていたので、家を売る決断もできました。親戚からは「お金を集めれば家族で支援できるのでは」と生活保護の受給には反対されましたが、「このままでは共倒れになる」と説得しました。 振り返れば、母からは感謝されるより、謝られることが多かったんです。「遅くまで話を聞いてくれてありがとうね」じゃなくて、全部「ごめんね」で。当時は感じ取れなかったのですが、大人になって振り返ったときに、母は子どもに負担をかけたくない思いが強かったんじゃないかなって。 もしあのとき、ひとり暮らしを選んでいなかったら、僕は今こうして仕事に集中できていなかったでしょう。ケアに忙頃され、感情を失ったロボットのようになり、自分の人生を生きている実感もないまま、大げさにいったら、生きていたかどうかもわかりません。自立は、母を見捨てたのではなく、僕たちが「ひとりの人間」として再生するために必要なステップだったのだと。自立を選択して本当によかったと思っています。…