
1: 湛然 ★ 2026/03/08(日) 10:36:29 ID:5td3qCUM9 2026/03/07 (取材と文・綿貫あかね 撮影・田上浩一) 読んだ人・矢野顕子 ◎MUJI BOOKS 文庫本 「人と物20 忌野清志郎」 ■出会いは、ヘンタイよいこバンドのライブでのセッション 大衆から親しみを込めて“清志郎”と呼ばれていた彼。 矢野さんとはどのように出会ったのだろう。 「1980年代にパルコ出版から『ビックリハウス』というサブカルチャー誌が出ていました。 そこに『ヘンタイよいこ新聞』というコーナーがあったんです。 糸井重里が主宰で、面白い若者たちが集まって好きなことを言い合う人気のページでした。 82年にそれを基にしたライブをやろうという話になって、そのためにヘンタイよいこバンドというのが結成されました。 メンバーはヴォーカルが忌野清志郎と糸井重里、ギターはCHABO(仲井戸麗市)、キーボードが坂本龍一とわたし、ドラムが鈴木さえ子といった面々で、高輪プリンスホテル内の結構大きな会場で行うことになって。 清志郎とはたぶんそのときに初めて会ったんじゃないかな」 ヘンタイよいこバンドは、いま思えばとても豪華なメンバーだった。 RCサクセションは『雨あがりの夜空に』や『トランジスタ・ラジオ』とヒットが続いていたし、矢野さんの『春咲小紅』はCMソングになってテレビから頻繁に流れてくる。 二人とも世間から押しも押されもしない人気ミュージシャンとして認識されていた頃。 「そのライブで清志郎が、『ひとつだけ』っていうわたしの作った歌を歌いたいと言うんです。 ところがあの曲は、コード進行が非常によく変わるので難しい。 とくにギタリストにとっては相当練習しないとできない曲だった。 でもCHABOがものすごく頑張って弾いたんですよ」(※中略) ■家族への惜しみない愛と、本気のメッセージ「愛しあってるかい」 本書を読むと、《彼女の笑顔より貴重なものなんて ありません。 ありえません》(P37)など、清志郎の語ることの端々に、恋人や友達、仲間への愛が感じられる。 特に家族には深い愛を注いでいた。 《俺は息子が可愛くて仕方がなかった。 今までのどんな恋人よりも 比べものにならないくらい可愛かった。 どこへ行くのにも一緒だった。 ステージに一緒に出たときもあった》(P21)とあるように、とてつもなく子煩悩だった。 「『十年ゴム消し』など彼の本は全部読んでいるから、この『忌野清志郎』に載っている詩やエッセイはほとんど知っています。 『買い物』は、お母さんのことを書いている詩。 確か最初は雑誌に掲載されていて、わたしはそのページを切り取って持っているんですよ。 というのも、いつか曲をつけようと思っていて。 そのくらいこの詩は大好き。 彼は家族に対して非常に愛情深い人で、子どものこともよく話していました。 『あんなに可愛かったのに、最近は口もきいてくれない』とかしょっちゅう言っていて。 毎年の年賀状の図柄は、家族や子どもたちとの写真を使うのがお決まりで、こっちは届くたびに『もうこんなに大きくなったんだ』って驚かされていました。 たぶん全部保管してあると思います。 わたしに対しても、仕事のこととかで『どうしたらいいかな』と相談すると、ものすごく親身になってくれてね」 そして、その愛は身近な人だけでなく、世の中の人々すべてに向けられていた。 それは彼の歌からも感じ取ることができる。 清志郎といえばこのセリフ。 人によってはくすぐったく感じるかもしれないが、本人は心からそう願いながら毎回ステージから語りかけていた。 「清志郎がステージ上からもよく言っていた『愛しあってるかい』っていうのは、単なるスローガンではなく本気なんです。 本当にそう思って言っている。 すべての人が幸せであるように、世界が平和であるようにということを本気で思っていた人。 THE TIMERS(RCサクセションが反原発の内容を歌ったシングルとアルバムをレコード会社が発売中止にし、それに疑問を持った清志郎が結成した覆面バンド)の活動で、反原発の姿勢を取ったり警察を揶揄したりしたときは、そのやり方に反対する人もいたけれど、彼はそういう態度も含めて全部自分の表現だと理解していた。 わたしは彼のやり方をすべて肯定していたわけではありませんが、その背後にあるきよしちゃんという人間が好きだった。 そういう彼の人間としての品性みたいなものは、彼の歌を聴いていれば誰しも感じるんじゃないでしょうか」 (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 無印良品 (※抜粋)…