1: 名無しさん 2025/12/30(火) 05:39:29.584 ID:flt4jGpGS ロッテ・ドラ1石垣の“未来予想図”でロッテ愛 プロ1年目から90歳まで「人生の最後まで野球に」 1年目の1軍デビュー、3年目の新人王獲得は4年目に「人生設計シートの本家」である大谷に会うための布石だ。小3だった16年に日本ハム時代の大谷が当時プロ野球最速の165キロを計測。テレビ画面を通じて電撃が走るような衝撃を受けた。その一球が羅針盤になり、最速158キロの世代最速投手に成長した。 だからこそ次々回のWBC開催が予想される29年に「大谷さんと世界一になる」と設定。「投球のこと、精神面のことを聞きたい。決勝は自分が投げて、最終回は大谷さんにつなぎたい」と勝利の方程式を描き、今夏のU18W杯決勝で敗れた米国へのリベンジマッチ実現を望んだ。 22歳で結婚。晩婚化が進む現代社会の流れに逆らうように「できるだけ早く結婚したい」と笑った。本拠地ZOZOマリンのある幕張にマンションを構えて野球に全集中。2年後に誕生する長男は成長した後に自身の宿敵だった横浜(神奈川)を投手として甲子園優勝へ導き、プロ入りするという。 日本一などロッテに黄金時代をもたらした後にメジャー挑戦。31歳で「人生の中で会いたい人」に挙げた野茂英雄氏から助言を授かり、翌年に初のサイ・ヤング賞に輝く。【取材後記】石垣らしい「未来予想図」ができた。早期のメジャー志望を希望する選手が増える中、メジャー挑戦は30歳ごろ。ドラフト前にMLB球団から好条件のオファーを受けた時は「直接米国に行く自分を許せなかった」と成長の必要性を漏らしていた。夢を授かったNPBへの恩返しとして新人王、最多奪三振、ロッテ日本一と、球界を沸かせてからメジャーに挑戦する道のりには一貫性があった。…