
1: 名無しのがるび 2025/12/10(水) 22:46:44.14 ID:T/nxKvda0 BE:271912485-2BP(2000) 中国が最後通告の時に使った用語、日本に突きつけた >> 中国が隣国との戦争直前に“最後通告”として使ってきた外交用語を、日本に対して突きつけた。高市早苗首相の「台湾有事介入」発言に対して、中国が空母打撃群を日本の海域近くに送り込み、100回以上にもわたり艦載機の離着陸訓練を行うなど、武力示威のさなかに出てきた発言だ。 王毅外交部長は8日、北京で行われたドイツのヨハン・ワデフル外相との会談で、日本を狙って「絶対に容認できない(是可忍孰不可忍)」と述べたと中国外交部が発表した。中国外交部は8日午後9時41分にワデフル外相との会談を紹介した後、約3時間後の9日午前0時55分に「王毅:台湾の地位はすでに『七重に固定された』」というタイトルの資料を別途掲載した。 問題の発言はこの報道資料の最後の段落に含まれていた。資料によると、王部長は「現職指導者が台湾を口実に問題を起こし、中国に軍事的威嚇を加えようとした。絶対に容認できない」と述べた。「絶対に容認できない(是可忍孰不可忍)」は直訳すれば「これほどのことを我慢できるなら、他に我慢できないことなどあるだろうか」という意味で、強い憤りを表す言葉だ。元々は孔子の『論語・八佾篇』の冒頭から取られた言葉である。 魯の実権者・季孫氏の不遜な行いを孔子が非難する文脈で使われたこの言葉を、中国当局は現代外交で決定的な局面ごとに持ち出してきた。過去、1962年9月22日、党機関紙『人民日報』は「絶対に容認できない(是可忍, 孰不可忍)」というタイトルの社説を掲載した。記事は「インド当局に厳粛に警告する。我々が警告しなかったとは言うな(勿謂言之不預也」としていた。その後、1カ月も経たない10月20日、中国はインドとの国境戦争に突入した。 中国・ベトナム国境紛争が極度に高まっていた1978年12月25日、『人民日報』は「我々の忍耐には限界がある」というタイトルの記事を掲載した。記事には「我々が警告しなかったとは言うなと、事前にはっきりさせておこう」という一文も含まれていた。翌1979年2月17日、中越戦争勃発当日の『人民日報』1面には「絶対に容認できない」という見出しが掲げられた。中国が戦争直前の“最後通告”のたびに持ち出してきた言葉だということだ。 さ…