1: ♪♪♪ ★ wds+I+mc9 2025-11-21 11:13:21 戦国武将・織田信長が明智光秀に討たれた天正10(1582)年6月2日の本能寺の変。その翌日、中国地方で毛利氏と戦っていた羽柴(豊臣)秀吉が、寝返った毛利方の有力武将に報奨を約束した起請文(きしょうもん)(誓約状)が見つかった。東京大学史料編纂所(へんさんじょ)の村井祐樹准教授(日本中世史)が20日明らかにした。「歴史的な大事件を知る直前の秀吉の動向がわかる貴重な史料」という。 書状は縦約33センチ、横約45センチ。村井さんがネットオークションで見つけ、今年10月に購入した。 毛利氏の縁戚で備後国(現在の広島県東部)の武士だった上原元将(元祐(もとすけ)とも)にあてたとみられる内容で、天正10年6月3日の日付。「上様(信長)に対して御忠節を尽くすとのことなので、備後国の権利を与える朱印状を(信長から)受け取ってお送りします。もし備後国が当方のものにならなければ、備中国内であなたの希望する場所で二万貫をお渡しします」などと寝返りに対する報奨が記される。 書式や書体のほか、当時の書状に使われる雁皮紙(がんぴし)が用いられ、花押と呼ばれるサインにも問題がないと思われることから、本物と判断した。一番最後の宛名は失われているが、起請文の内容から、「上原右衛門大夫殿」と書かれていたと推測されるという。 当時、秀吉は備中高松城に籠(こ)もる清水宗治を包囲中だった。近くの日幡(ひばた)城にいた毛利氏の親族の上原氏が寝返ることには、大きな意味があったとみられる。 続きは↓…