転載元: 征夷大将軍 ★ 2025/01/17(金) 07:58:58.23 ID:tcZaoJmt9 デイリー新潮2025年01月14日 冬になると学生スポーツが花盛りとなるが、スポーツ中継・ニュースにしらける自分がいる。何しろ自分が関連した学校はいずれも超弱小のため、駅伝、ラグビー、アメフト、サッカー、バレーボールなど、冬の時期に母校愛をくすぐられるような経験をしたことがないのである 正月、誰かの家に集まると「母校が出てるからさ(誇らしげにニヤリと笑う)……」と箱根駅伝やら、大学ラグビー選手権の試合をテレビで見始める人がいる。「〇〇さん、早稲田大学だったんですね、頭いいんですねー!」なんて言われようものなら「まっ、運ですよ」なんてやり取りをするのもチクショー、なんか羨ましい。試合に勝ったら勝ったで「おめでとうございます!」と祝福され、「いよいよ決勝ですね」なんてことを言ってもらえる。 しかし、「帝京は強いので、ウチの大学もさすがに決勝ではどうですかね……」とこれまた冷静にポツリとつぶやき、ニヒルでクールなオレ、を徹底的に演出できるのである。 また、関口宏氏がMCを務めていた頃の「サンデーモーニング」(TBS系)でも同じような空気感があった。スポーツコーナーは大学スポーツを多数取り上げる傾向があったが、関口氏は登場する早稲田や明治といった大学の出身者に「あれ、〇〇さんは早稲田でしたよね。強いじゃないですか」などと振る。振られた側は露骨に嬉しがるのも憚られるのか、「まぁ、決勝相手の帝京も強豪ですからね、いい試合を見せてもらえれば、と思います」なんて大人なコメントをする。 そこで関口氏は大学論議を終わらせず「それにしても私の行った立教は、なかなか勝てないですね」なんて言ったかと思えば、同じく立教出身の出演者に「ねぇ、××さん」と振り、その場が再度盛り上がるのである。 この手の「大学論議」をする人間の傾向というのはメディアの世界でも、一般の世界でもなんとなく傾向が見えて来たのだが「文武両道の学校出身者」であることが一つだろう。具体的には、早稲田、慶應、明治、青山学院といったあたりだ。「ウチの大学は頭がいい上に、スポーツも強いんだからな。大学入学後、早慶戦を神宮で見た時は震えたね。終わった後は高田馬場まで皆で校歌歌いながら歩いたなぁ~」なんて甘美な思い出を語る。 どことなくこれら一流校出身であることを細部にアピールしてくるのである。その一方、決して偏差値が高いと言えない大学の出身者は謙虚である。同様にテレビで試合を見ていて、その大学の強さを称えたらこんなことを言う。 「いえ、ウチの大学なんて脳味噌筋肉バカばかりしかいません。中学からラグビーばかりやっていた社会生活に慣れてない人間だらけのため、その点で強くてもそれは当たり前です」 決して自身の出身校を誇らないのだ。こうして考えてみると、「文武両道校」出身者のイヤミさというのは突出しているのだが、理由の一つはメディアにそれら学校出身者が多いのもイヤミ的態度と報道に表れているのではないだろうか。具体的に言うと早稲田大学と慶應義塾大学である。 2023年、夏の甲子園大会で慶應義塾高校が107年ぶりに優勝したが、慶應OBのはしゃぎっぷりがハンパなかった。フェイスブックでは、会社を休んで応援に行ったことを報告し、「塾生の活躍には気が引き締まる思いだ」なんて書く。コメント欄にも「アルプススタンドで肩組んで『若き血』を歌う経験ができてよかった」と書く。メディアにしても、丸刈りの生徒だらけの高校と比較し、慶應の生徒は自由な髪形で個性を発揮している、なんて好意的に取り上げる。 この時、慶應に対する報道姿勢やOBの発言を見て猛烈な違和感を覚えた。本来、夏の甲子園に出場するチームは、その県の期待を背負い、県民から応援されるものである。県予選の時は同じ市の地元校を応援していたものの、いざ全国となれば、代表となったその高校を応援する。私は佐賀県大会で友人の息子が野球部に所属する北陵高校を応援していたが、同校が負けた後は結果的に代表となる鳥栖工業に期待をしたし、甲子園でも同校を応援した。 少し羨ましい 一方、慶應については、神奈川県民から聞かされたのが「我が県の代表という感覚がない」という言葉だ。「なんかさ、慶應の関係者が勝手に盛り上がってるだけで、置いて行かれたような気持ち。横浜高校や桐蔭学園、東海大相模だったら応援する気になるんだけどね……。不思議な代表だった」と同氏は続けた。 古くは2006年、早稲田実業の斎藤佑樹投手が「ハンカチ王子」と呼ばれ大フィーバーを巻き起こしたが、これも早稲田だったからOBのメディア人が過度に推した面もあっただろう。 ※以下出典先で 2: 名無しさん@恐縮です 2025/01/17(金) 07:59:24.09 ID:zfcJwiMv0 名……門?…