1: 少考さん ★ 5DTBupVh9 2025-09-30 12:03:53 年寄りに「ハゲ」と言っても意味がないのはナゼか…放っておいても歳を取ると“見た目のコンプレックス”から解放される | デイリー新潮 2025年09月30日 人間は自分の身体的特徴について、さまざまなコンプレックスを持つものだが、男性のコンプレックスとして有名なものといえば、「低身長」「薄毛」「肥満」である。無論、「肥満」については男女ともにあるが、これは多くの場合、ダイエットをすれば脱却は可能ではある。 しかし、低身長と薄毛については、努力ではいかんともしがたい問題である。以前、女性プロゲーマーが生配信中に「170cm以下の男には人権がない」と発言したが、168cmの私も「あぁ、オレには人権がないのか」と思いつつ、「はいはい、勝手に言っておいてください」という気持ちになった。薄毛についても、かつて女性国会議員が秘書に対して「このハゲー!」と罵る音声が報じられ、大騒動になったことがあった。【中川淳一郎/ネットニュース編集者】 いっそのことスキンヘッドに このように、他人を罵る際に「チビ」「ハゲ」「デブ」といった言葉が使われるわけで、当事者としては気にせざるを得ないコンプレックスの一種といえよう。しかしながら、いずれも容易に解決はできないのだからここは「はい、チビですが何か?」ともう開き直ってしまうしかないのだ。 というか、これらの言葉を使って揶揄されることは実生活では滅多になく、著名人のニュースや、自分の写真をSNSに公開している一般人が時々コメントで指摘される程度だろう。面と向かってこのような言葉を吐く人間が知り合いだったら、その人に問題があるため、容赦なくあなたはその人と縁を切ってもいい。 何しろこの3つには周囲に与える実害がほぼないのだ。肥満の場合は自動車の後部座席に3人で座る時などに多少窮屈な程度で、会食時に肥満がいても問題はない。あとは飛行機のエコノミークラスや電車で座席が隣り合うと圧迫感を感じるぐらいか。さらに、薄毛や低身長の人が近くにいることで迷惑を被ったというケースはあまり想像がつかない。 というわけで、要するにコンプレックスというものは、本来持たないでも良いものが多く、過度に本人だけが気にしていることが多い。私の知人に40歳の美人がいるのだが、目の下にクマがあることを気にして美容整形へ行こうかと真剣に悩んでいた。「私の目の下、ひどくありませんか?」と言うが、こちらにはとんとそのクマとやらが識別できない。本人以外は気にならないことを気にし過ぎているようにも考えられるのだ。 少しでも気になるのであれば、低身長の場合は底の厚いバスケシューズを履けば身長が高くなった気分になれる。薄毛の場合は、横の毛を頭頂部に持って来るなど涙ぐましい努力をするのではなく、いっそのことスキンヘッドにしてしまえばいい。一度スキンヘッドにすれば、周囲がすぐに慣れてくれる。スキンヘッドにした理由は「マイケル・ジョーダンに憧れていた」などとテキトーなことを言えばいい。 ただし、こうしたコンプレックスの多くは時の流れとともに克服できるのも事実だ。 (中略) 昔、乙武洋匡氏と喋っていた時こんな会話になった。 私:差別・揶揄の対象ってなんで決まっていくんですかね? 乙武:珍しいからでしょう。 私:たとえば小学生の時、メガネをかけている同級生は「メガネ野郎」や「のび太」なんて言われてバカにされていましたが、大人になるとあだ名にすらならないですよね。 乙武:大人なんて、メガネをかけるのが当たり前過ぎて、レアキャラじゃないから差別の対象になり得ないんですよ。だから、高齢者に対して「ハゲ!」と言っても「だから何? お前の20年後じゃ」とか言われるだけですよ。 乙武氏のこの言葉を聞いた時、なるほど、と思ったのだが、揶揄や罵倒の対象になるのは常にマイノリティであることも確認できた。だからこそ人はマジョリティになろうとするし、「出る杭」になろうとしないのだろう。ただ、マイノリティとして異端なことをした方が、起業するなどして、案外金銭面や社会的地位の面では成功することも多い。コンプレックスを持ってしまうことは自らがマイノリティである、と考えることである。いや、それではいけない。「私は特別な人間なのだ!」と前向きになってコンプレックスなんて吹き飛ばし、堂々と生きれば人生好転するかもしれない。 ※全文はソースで↓…