1: 少考さん ★ w92BEyBc9 2025-09-28 14:59:06 1000人超の死をもたらした治安維持法 解説書が鳴らす警鐘(毎日新聞) 9/28(日) 12:15配信 治安維持法制定に反対してデモ行進する群衆=1925年(大正14年)2月11日撮影 戦前と戦時中、言論や思想の自由を奪った治安維持法は10万人以上の拘束と拷問死93人、虐待や病気、釈放後の自殺を含めると1000人以上の死をもたらしたとされる。1925年5月の施行から100年を迎える中、弾圧が厳しかった京都での歴史を解説する書籍「レジスタントの京都 治安維持法下の青春」(日本機関紙出版センター、1980円)が7月に出版された。同法犠牲者国家賠償要求同盟京都府本部が作成した京都関連の被害者約1000人の名簿も添付。戦後の民主主義も改めて見つめ直し、再び戦争への道を進まぬよう警鐘を鳴らす。 【写真でみる】政府によって京都帝国大を追われた滝川幸辰。戦後は京大学長に 同盟は全国組織が1968年、府本部は88年に設立。同法下の国家弾圧の歴史を掘り起こすと共に、被害者の人権回復と国の謝罪・賠償を求めてきた。 全国各地で被害者の名簿作りが始まり、京都でも10年ほど前から着手していた。取り組みを進めるため、2019年から府本部会長を務める元共産党府議、原田完さん(75)が21年に井口和起・府立大名誉教授や勝村誠・立命館大教授ら近現代史の研究者と京都治安維持法研究会を設立。法施行100年の節目に名簿を作成し、幅広く被害者の活動を伝える書籍の刊行につなげた。 原田さんの母、山田寿子(としこ)さん(98年に87歳で死去)も直接の被害者だった。原田さんが高2の時、前橋市の自宅を訪ねてきた作家に、母が拷問も含めた体験を語る姿を見た。驚きのあまり、生前の母に詳しく尋ねることができなかった。 鳥取市出身の母は高等女学校を卒業して上京。住み込みで開業医を手伝ったが、貧しい患者への差別扱いに反発して飛び出し、当時の共産党機関紙「無産者新聞」や町工場で働きながら労働者支援に関わるようになった。 共産主義者や労働運動の関係者を標的に制定された治安維持法は28年に結社の「目的遂行罪」が追加され、自由主義的な研究・言論や宗教団体の教義・信条も含めて国民全体が弾圧対象となり、最高刑も死刑に引き上げられる。これに反対した当時の労農党の京都選出衆院議員、山本宣治は右翼男性に暗殺された。その葬儀に集まった多くの労働者が一斉検挙された中に19歳だった母もいた。 ◇自伝で知った母の拷問体験 (略) 【太田裕之】 ※全文はソースで。…