1 名前:@仮面ウニダー ★:2024/10/11(金) 13:20:00.85 ID:n4cvaDcK.net 在日コリアン3世で元全国紙記者の韓光勲さんは、30歳にして韓国留学を決断しました。韓国籍ではあるものの、「大阪生まれ、大阪育ち」であり、韓国語が苦手。それでも韓国に留学し、在日コリアンという立場からさまざまな発見をします。そんな彼の発見をギュッとまとめたのが『在日コリアンが韓国に留学したら』という本。 【写真】韓国留学のきっかけになった「美少女たち」 韓さんが留学のため渡韓した直後に気づいたのが、ソウルは日本との共通点がいくつもあり、日本と同じ感覚で過ごせるということだといいます。桜が有名なスポットがあることも日本との共通点のひとつであるが、そこで見たものは微妙な日韓関係を象徴する「ある銅像」でした。 ・あまりにも似ているソウルと日本 ー中略ー ・日本からやってきたソウル大公園の桜 日本との共通点でいえば、ソウルには桜が有名なスポットもある。 4月1日、ソウル大公園を訪れた。この日は半袖でも過ごせるほど暖かかった。満開の桜を見ると、まるで日本にいるかのように錯覚した。 屋外での花見は気持ちが良かった。大勢の家族連れが花見を楽しんでいた。 実は、このソウル大公園の桜は日本由来である。1981年、韓国政府は日本の朝鮮総督府が公園にした昌慶宮を以前の姿に「復元」 しようと、宮内にあった桜をソウル大公園と汝矣島(ヨイド)に移した。現在、ソウル大公園と汝矣島は多くのソウル市民が花見を 楽しむスポットとなっている。 ちなみに、朝鮮半島には元々ヤマザクラやエドヒガンが自生していたが、日本由来のソメイヨシノが大々的に植えられるようになるのは 大正期である。そもそも、ソメイヨシノ自体の歴史が浅い。ソメイヨシノの発生地は東京で、時期は江戸時代の終わりから明治の初め、 1800年~1875年ごろであった。ソメイヨシノが本格的に拡散するのは戦後で、今では日本の桜の8割をソメイヨシノが占めているといわれる (佐藤俊樹『桜が創った「日本」』岩波新書、2005年)。 筆者はソウル大公園の桜を見て日本にいるかのように錯覚したが、その感性自体が実は浅い歴史の上に立っているのである。 ・「親日派認定」のパネルが立つ韓国政治家の銅像 ソウル大公園を散歩していると、ある銅像を見つけた。説明書きを読むと、金性洙(キム・ソンス、1891-1955)という政治家の 銅像だった。 金性洙は三・一独立運動の翌年、1920年に「東亜日報」(朝鮮語による民間紙)を創刊し、右派民族主義の中心となった。 朝鮮の解放後、韓国民主党党首として政府樹立に貢献し、1951年に第2代副大統領に選ばれたが、李承晩の独裁に反対して翌年辞任。 1955年、朝鮮戦争中に避難していた釜山で亡くなった。 韓国の代表的な新聞の創業者で、戦後は副大統領にまでなった人物である。1991年に建てられた銅像は大きくて立派である。 だが、銅像に続く道のパネルをよく読むと、意外なことが書いてあった。 「この人物は親日派として認定されました。現在、銅像の移転・撤去について協議中です」──。金性洙は2009年、民族問題研究所が 発刊した『親日人名辞典』に名前が掲載された。大統領直属の「親日反民族行為真相究明委員会」でも「親日反民族行為者」として 認定されたのだ。「金性洙の言論活動は朝鮮人の徴兵・学徒兵を称賛するものであり、日本の戦争への協力を行った」という理由だった。 東亜日報社の社長(金性洙の曽孫)らが行政自治部長官を相手どり「日帝当時の新聞記事は信じられず、団体と行事への出席は強制動員に 過ぎない」として取消訴訟を起こしたが、2017年には最高裁で敗訴が確定した。金性洙の「親日行為」は司法の場でも 認定されたのだった。 日本由来の桜と、「親日派」の銅像。家族連れが楽しむ憩いの場には、日韓の微妙な歴史が横たわっていた。 韓 光勲(ライター) 10/11(金) 7:00配信 引用元:…