1: それでも動く名無し 2023/02/07(火) 13:35:22.87 ID:Zaqv49ZZr 他にもたくさん女と子作りしてたこのおっさんヤバすぎやろ 2: それでも動く名無し 2023/02/07(火) 13:35:56.76 ID:Zaqv49ZZr ほんま地獄で苦しんでほしい 3: それでも動く名無し 2023/02/07(火) 13:36:22.71 ID:dHZueYiP0 徳川家斉「フンッ…!(子供53人)」 こいつには及ばん 徳川家斉徳川 家斉(とくがわ いえなり)は、江戸幕府の第11代征夷大将軍(在任:1787年 - 1837年)。特定されるだけで16人の妻妾を持ち、53人の子女(男子26人・女子27人)を儲けたが、成年まで存命したのは約半分の28人だったと言われる(儲けた子女の多さは、歴代15代徳川将軍の中でも圧倒的に一番である)。また、12代将軍家慶を除く長命の男子は他家の養子となったが、養子先に選ばれた諸国の大名家の中にはすでに実子が誕生していた例もあった(播磨明石藩など)子女の多くは大藩の大名に関係することから、血縁関係による大名統制をとったとも考えられる。また、将軍の子を迎える大名に、それに伴う儀礼などによる経済的負担を課していたとも考えられる。一橋宗尹以来の一橋家の養子戦略の延長でもある。成人した家斉の子の多くは子供(家斉にとっての孫)がなく、あるいは早世して血筋が途絶えることが多かった。現代まで血筋を残しているのは、斉民・斉裕・溶姫の3人だけで、このうち男系は斉民の系統だけである。徳川家斉…