1 名前:@仮面ウニダー ★:2024/07/21(日) 12:51:36.55 ID:bhI319Au.net 「1939年に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋(あっせん)』『徴用』と変化するものの、 朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」 新潟県が1988年に発行した「新潟県史 通史編8 近代三」の文章だ。戦時中、佐渡金山などへの朝鮮人の 強制動員・強制労働があったと記している。佐渡島を歩くと、あちこちに朝鮮人徴用工が働いた痕跡があった。証言も残っている。 日本政府は「佐渡島(さど)の金山」の世界文化遺産登録を目指しているが、こうした強制労働の歴史があり、 登録は簡単に実現してこなかった。(共同通信新潟支局) ▽世界最高水準 ー中略ー 政府は2023年に推薦書を再提出。イコモスは今年6月、「登録」に次ぐ2段階目の「情報照会」を勧告。 「世界遺産登録を考慮するに値する価値がある」とした上で、江戸時代だけでなく「鉱業採掘が行われていた全ての時期を通じた、 全体の歴史を現場レベルで説明・展示する」よう求めた。明示していないが、朝鮮人の強制労働問題を指すとみられる。 ▽露骨な差別意識 冒頭の新潟県史に戻る。県史によると、1942年発表時点で、新潟県内で働く朝鮮人は三菱鉱業佐渡鉱山が最多の802人いた。 家賃を徴収せず、日本語を教えるなどの「配慮」もあったとする一方で、労働条件を巡るストライキや、 民族差別賃金を不満とする逃亡もあったと記す。 県史は、三菱側が「露骨な『劣等民族観』を隠そうともしなかった」とトラブルの理由を断じている。 旧相川町(現佐渡市)による1995年発行「佐渡相川の歴史 通史編 近・現代」も、同様の歴史を記録している。 「1945年3月が募集の最終回で『総勢1200人』が佐渡鉱山へ来たとされる」。 朝鮮人徴用工は複数の宿舎に収容され、日本人労働者より坑内作業を担わされる傾向が強かったと数字で示した。 ー中略ー ▽捜し当てた元徴用工14人 「煙草配給台帳」には、朝鮮人労働者の名前と生年月日が記されている 小杉さんら市民団体「過去・未来―佐渡と朝鮮をつなぐ会」は、1990年代から歴史を掘り起こす活動を続けてきた。 1995年7月には、韓国で佐渡の元徴用工を捜し当てた。 きっかけは、京町通り沿いのたばこ屋兼郵便局で見つかった「煙草配給台帳」だ。相愛寮の朝鮮人にたばこを配給した記録で、 名前と生年月日が並ぶ。これを基に、14人を特定できたが、既に死去した人もいた。 1995年12月には、そのうち当時72歳の盧秉九(ノ・ビョング)さんと、当時73歳の尹鐘洸(ユン・チョングァン)さん、そして遺族の金平純(キム・ピョンスン)さんを佐渡に招き、証言集会を開いた。 ▽言うことを聞かないと「気合」 ー中略ー 盧秉九さんの証言。 「1941年9月、18歳の時に役所から佐渡鉱山に行くよう命じられた。断れば軍隊に行かされるというので応じた」 「毎日、朝と夜に皇民化教育と技術指導を受けた。朝、坑夫が全員集められ、天皇陛下を拝む。 言うことを聞かないと『気合』を入れられた。殴るのが特徴だ」 「同僚はダイナマイトの爆風でカンテラの火が消え、深い坑口に落ちて亡くなった」 尹鐘洸さんの証言。 「仕事は削岩した岩を集めたり、トロッコを運転したりで、ひどいほこりの中で作業させられた。年を取るにつれて、 咳やたんが多くなっている」 ー後略ー 全文はソースから 47NEWS 2024/07/21 ※関連スレ 【国際】日本の市民団体が佐渡金山の展示拡充を要望 韓国・徴用工問題 [動物園φ★] 引用元:…