1: @おっさん友の会 ★ 2024/06/01(土) 12:38:42.81 ID:82G11rxw9 能登半島地震から6月1日で5カ月となる。小学校の体育館や公民館などの1次避難所で暮らす人の数は、ピーク時の3万4千人超から1623人まで減った。一方で、行政から姿が見えにくく、支援の届きにくい「見えない避難者」の存在に懸念が広がっている。 黒瓦の屋根。時代を感じさせる濃茶の板張りの壁。奥能登らしい落ち着いた色合いの山里では、ほとんどの家の屋根や壁に貼り付けられたブルーシートの、鮮やかすぎる青色が目立つ。 石川県珠洲市三崎町。道は波打ち、ところどころで砂利がむき出しになっている。 集落の中に、小さな煙突の突き出たトタン屋根の小屋がある。 元大工の矢敷(やしき)昭八さん(76)はここで、妻のとよ子さん(71)と2人で暮らす。小屋は元日まで、車3台を止める車庫だった。 内側の壁は断熱材がむき出しになっている。冬の寒さを和らげようと、矢敷さんが元大工の腕を生かして貼り付けたものだ。 かつて軽ワゴン車を止めていた辺りに、倒壊した家から運び入れた薪ストーブを置いた。煙突も取り付け、板張りの小部屋も作って寝室にした。 長男夫婦と小学生の孫2人と計6人で同居していた自宅は、元日の能登半島地震で全壊した。 矢敷さんは前日の大みそかから脳梗塞(こうそく)で入院中だった。残る5人は人があふれているであろう避難所を避け、1週間ほど車中泊を続けた。 続きはYahooニュース 朝日新聞 2024-06-01 5:00 引用元: ・能登地震5カ月、70代夫婦の車庫暮らし「こんな年でこんな目に…」 [おっさん友の会★]…