1 名前:ばーど ★:2024/03/06(水) 08:36:16.17 ID:He+1PuMb.net 韓国・釜山からわずか49.5㎞の距離に位置する長崎県下の対馬島は、「朝鮮半島に一番近い国境の島」である。 昨年2月、新型コロナウイルスの感染拡大により停止していた釜山―比田勝(ひたかつ)港の国際フェリー運航が3年ぶりに再開され、1年が経過した。 対馬市によれば、フェリー再開後に対馬を訪れた韓国人は約10万4000人(昨年11月末時点)。コロナ下ではほぼゼロだったことを考えれば大幅に回復したとの見方もできるが、最盛期の約41万人(’18年)には、遠く及ばない。 「活気が少し戻っているのは、島北部の比田勝港周辺だけです」 そう語るのは、長年にわたり対馬を取材する、報道写真家の山本皓一氏だ。 「対馬の中心部は南部の対馬市厳原町(いづはらまち)ですが、かつて国際フェリーが乗り入れていた厳原港はいま工事中で、韓国人が直接乗り入れることができない。比田勝港から距離にして80㎞、車で往復5時間近くかかる厳原を訪れる観光客は少なく、経済的な恩恵を受けられるのは比田勝にとどまっているのです」 今冬、山本氏は釜山から対馬行きのフェリーに乗船。「コロナ前」との変化を如実に痛感したという。 「予約を取るのも大変だったフェリーは空席が目立ち、町に人がいない。かつて観光客で賑わっていた厳原の食堂、ホテルの多くが閉業していた。島内の郵便局の看板からは、ハングル表記が取り去られていました」(山本氏) 観光名所だった対馬北端の展望台「韓国展望所」を訪れたが、老朽化による改修のため人影はなかった。 大型免税店「ICHIRAKU」に至っては、コロナ禍を経て閉店どころか更地になっていた――。 対馬を訪れる韓国人観光客が激減した最大の要因は日韓問題にある。’19年7月、当時の安倍政権が半導体関連3品目の対韓輸出規制を強化したことで政治的対立が高まり、対馬への旅行者が前年比9割減と大打撃を受けたのだ。 その後、コロナ禍でフェリーそのものの往来が消え、韓国人旅行客に依存していた対馬の観光業は「苦難の3年間」を余儀なくされた。山本氏が語る。 「その間、島外への人口流出が大幅に進んだのも痛かった。対馬の住民数は’15年に3万1457人でしたが、’24年には2万7755人にまで減少している。比率にすれば12%ほどですが、そのうちのかなりの部分が若い世代です。住民票を移さず島を離れている人も少なくないので、島の空洞化は数値以上に進んでいると見るべきです」 ◆「観光以外の手」はあるか 観光客の受け入れ口・比田勝港付近では、すでに人口流出の影響が出ていた。 「戻ってきた観光客を受け入れようにも手が足りないのです。対馬市のアルバイト平均時給は、離島にもかかわらず長崎県内の自治体のなかで3位(1019円)と高いのですが、それでも人が集まらない。ある食堂は『時給1200円でもまったく応募がない』と嘆いていた」(地元の経済関係者) ’22年5月、親日派とされる尹錫悦(ユンソンニョル)政権が誕生し、日韓両国の関係改善が進むかに見えたが、先に述べた通り、島民の期待に応えるだけの効果は出ていない。 「観光産業従事者たちは、政治に翻弄される韓国人頼みの経済基盤を疑問視している。昨年は、「核のごみ」(高レベル放射性廃棄物)の受け入れをめぐり、市議会を二分する議論が勃発しました。 島の将来を考えれば沖縄・与那国島のように本格的な自衛隊誘致を実行するしかない、といった意見もあります。ただ、日韓には竹島問題もある。自衛隊が来るとなると、政治対立が観光業のみならず、島民の安全を脅かす可能性も出てくる。対馬島民が抱えるリスクが大きすぎるのです」(前出・山本氏) 白村江の戦い以来、「防人(さきもり)の島」と呼ばれた対馬。防衛と経済の狭間で、島民たちは揺れている。 最終更新:3/5(火) 8:00 FRIDAY 引用元:…