1 名前:昆虫図鑑 ★:2024/01/08(月) 10:48:26.86 ID:jDeRJtG3.net 2023年の韓国映画産業の危機論のなかで顕著な現像は、日本アニメの強さだった。なかなか回復しない映画館に、『すずめの戸締まり』『THE FIRST SLAM DUNK』『君たちはどう生きるか』などの日本アニメがそれぞれ557万人、477万人、197万人の観客を得て善戦した。様々な原因が診断されたが、若い観客が世界最高水準の日本アニメに期待と信頼を持っているという点が大きかった。 実のところ40代以上の韓国人には、今も「日本」コンテンツに心理的な抵抗線がある。日本の大衆文化の開放前に青少年期を過ごし、幼い時から慣れ親しみ楽しんだ文化ではないためだ。日本の大衆文化の開放に関する論議に接しながら思考を育ててきたため、日本文化に対する視線は今でも気楽ではない。しかし、幼い時から『となりのトトロ』をみて育った10~30代はそうではない。 そうした世代に、2000年以前の韓国では公式には日本の大衆文化を楽しむことができなかったという話をすると、首をかしげる。過去の韓国政府が日本の大衆文化を規制する際には、主に3つの論理が活用された。1つ目は政治的理由で、日本の大衆文化はそれ自体が日本の象徴であるため、日本の植民地支配を経験した韓国が日本の大衆文化を公式に受けいれることはできないというものだった。2つ目は文化的理由で、日本の大衆文化は変態的かつ猥褻的な傾向が強く、青少年ら国民に害となる影響を与える可能性があるというものだった。3つ目は経済的理由で、韓国よりも多くの資本と技術を有する日本の大衆文化を開放する場合、韓国文化産業は壊滅しかねないという不安と懸念のためだった。 (略) ついに1998年10月に日本の大衆文化が開放された。映画・ビデオ産業と出版産業から始まり、2004年まで分野別に段階的開放が進行された。しかし、4次にわたる日本の大衆文化の開放の結果、韓国の文化産業に及ぼした影響は懸念していたよりはるかに小さかった。映画の場合、1999年の第2次開放後に上映された映画『ラブレター』『鉄道員』『SFサムライ・フィクション』などがソウルの観客を10万人以上動員することもあった。しかし、第3次開放後はその水準の興行は、2000年の『ポケットモンスター』、2001年の『となりのトトロ』のようなアニメ程度に過ぎなかった。音楽もむしろ韓国のレコード輸出額が1999年の20億ウォン(現在のレートで約2億2000万円)から2000年には59億ウォン(現在のレートで約6億5000万円)と約3倍に増加したことのほうが目立った。 こうした結果となった理由は、2000年代に入ると韓国の文化産業が旺盛に成長したためだ。国際通貨基金(IMF)の外国為替危機後に政府は、文化産業を次世代の成長動力と宣言し、各種の振興計画を発表した。ベンチャーキャピタルが映画投資に参入し、映画産業も大きく成長した。 H.O.T.などのアイドルグループは中国や東南アジアにまで進出し、「韓流」熱風が起き始めた。反面、当時の日本の大衆文化は衰退期に突入していた。日本の大衆文化は、1980年代後半から1990年代末まで「大衆文化ルネサンス期」を謳歌した。しかし、韓国が扉を開いたとき、日本の文化産業はアニメなどのいくつかの分野を除き、やや沈滞に陥り始めた。 複雑だった「禁止」と「許容」という論議から抜けだし、20年ほどが経過した。日本の大衆文化は当時も今も、自分たちが得意とする分野を変わることなくうまくこなしている。。浮沈を繰り返したのは韓国映画だった。若い大衆は先入観なしに選択した。2023年の韓国市場で日本アニメがファインプレーをした理由としては、韓国の不振の側面がより大きかったということだ。自分が得意とすることをより得意にすることも優れた能力だ。韓国の映画産業がこの現象に対して何か考えるべきだとすれば、韓国にそうした点が確かにあるのかを、一度調べなければならないということだ。 キム・ユンジ|韓国輸出入銀行 海外経済研究所首席研究員 引用元:…