1 名前:Egg ★:2023/12/15(金) 21:38:26.50 ID:IwPOV6Tx9.net 過去には企業名入りクラブ名称で戦ったこと ホームタウン制度の撤廃を報じた2年前の記事では、その最後で「さらに数年後には、クラブ名にネーミングライツを認めることも検討を開始した」とも綴られている。今回のスポンサー企業名入りのクラブ名称導入解禁を伝えた記事ともつながるだけに、Jリーグの将来を危惧して現状を変えたいと考える幹部や関係者が存在し、そういった考えをキャッチしたメディアの記事に反映された、という構図が生まれても決して不思議ではない。 いま現在は忘れられているかもしれないが、日本サッカー界が待ち焦がれたプロ化を果たしたあとの最初の大会、1992年のヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)は一部が企業名入りクラブ名称で戦っていた。 オリジナル10に名を連ねたクラブのうち、地域名と愛称をクラブ名称としていたのは鹿島アントラーズ、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)、サンフレッチェ広島だけ。初代王者の読売日本サッカークラブ(現東京ヴェルディ)を筆頭に、日産FC横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、三菱浦和フットボールクラブ(現浦和レッズ)、パナソニックガンバ大阪(現ガンバ大阪)などと表記されていた。 一転して地域名と愛称に統一されたのは、1993年5月にリーグ戦が開幕する直前だった。地域密着を掲げ、運営母体を含めた企業名の原則排除を決断した川淵三郎初代チェアマンに対して、読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄氏が、企業名重視を掲げたうえで「Jリーグの理念は空疎だ」と激しく憤った。 プロ野球の読売巨人軍会長なども務めた経験を持つ渡邉氏は、プロ野球の親会社が子会社の球団運営に対して支出した、赤字補填を含めた金銭が広告宣伝費として取り扱われる1954年の国税庁通達を熟知していた。広告宣伝費ならばかかる税金も大きく優遇及び軽減され、豊富な資金を投入できる環境を生み出していた。 対照的に企業名が入らなければ、Jリーグでは国税庁通達が適用されず、親会社が不利を被ると渡邉氏は声高に主張した。当時のスター軍団、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の親会社が読売新聞社だった関係もあり、いわゆる「川淵・渡邉論争」が世論をにぎわせたなかで、当時は川淵チェアマンが理念を貫き通した。 しかし、今シーズンで節目の30周年を迎え、J2とJ3を含めたチーム数も6倍の60に増えたJリーグを取り巻く環境も大きく変化している。Jクラブ、イコール、それぞれの地域と連想させる概念が世間に浸透した一方で、コロナ禍期間中に生じた収入減などの経営ダメージを依然として引きずるクラブも少なくない。 12/15(金) 12:35配信 フットボールゾーン 全文 引用元:…