1: muffin ★ nnfeN1K99 2025-09-15 22:06:04 9/15(月) 18:01 インディーズブームの後を受けたバンドブームは、いきなりクライマックスから始まったムーブメントと言うことができる、と元「smart」編集長である佐藤誠二朗氏は語る。バンドブームの象徴「イカ天」が変えた、バンドという存在とは。 (中略) “バンドブーム”以前の1980年代中ごろから、日本の各メジャーレコード会社は、新機軸のバンドを次々と世に送り出していた。 『宝島』でも『DOLL』でも『フールズメイト』でもなく、『PATi・PATi』のような雑誌に大きくフィーチャーされたそれらのバンドの代表格をメジャーデビュー順に挙げると(以下、括弧内はレコードデビュー年・月)、レベッカ(1984年4月)、爆風スランプ(1984年8月)、バービーボーイズ(1984年9月)、SHOW–YA(1985年8月)、聖飢魔2(1985年9月)、米米クラブ(1985年10月)、UP–BEAT(1986年4月)、プリンセス プリンセス(1986年5月)、レッド・ウォーリアーズ(1986年10月)、ゴーバンズ(インディーズ1986年2月、メジャー1987年5月)、パーソンズ(インディーズ1986年7月、メジャー1987年9月)、ユニコーン(1987年10月)などである。 こうしたメジャーバンドが、BOØWYやザ・ブルーハーツとともに人気を拡大させていったのがバンドブームの本流であると考え、インディーズ系については傍流に過ぎぬとみなし、さほど気にも留めていなかった人が多いのではないだろうか。 (中略) だがバンドブームが本格化してきた1980年代後半には、そうした下積みのステップ抜きで、誰でも一気に人気バンドの仲間入りができそうな機運が醸成されたのだ。 それを象徴するのが、1989年2月放送開始のTBS系深夜番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称・イカ天)である。 イカ天については、純粋なアマチュアバンドコンテスト然としていた番組初期と、メジャーレコード会社がプロモーションのため、デビュー予定のバンドを顔見せとして送り込んでいた中期以降では、番組の性質が違うと見る向きもあるが、1990年12月の番組終了までに約850組ものアマチュアバンドの演奏を放送に乗せ、数多くの実力派を世に送り出した功績は大きかった。 その一方で、下積みの実績なく、実力のほども定かではないポッと出のバンドを、瞬間風速のみで人気バンド風に仕立てて見せた罪もまた大きい。イカ天に出演し1989〜1991年にメジャーデビューを果たしたバンドとしてはフライングキッズ、ジッタリン・ジン、ビギン、たま、マルコシアス・バンプ、人間椅子、ブランキー・ジェット・シティ、カブキロックス、ピンクサファイア、AURA、宮尾すすむと日本の社長、クスクス、ノーマ・ジーン、スイマーズ、リモート、ザ・5.6.7.8'S、有機生命体などがある。 現在も活動を続けているバンドもあれば、早々に華々しく散ったバンドもいる。そしてレジェンドとしていまだに語り継がれるバンドも。だが、こうした一部のトップバンドは、たとえイカ天がなくても遅かれ早かれ世に出てきたはずだ。むしろイカ天によりテレビサイズに矮小化されてしまったことがデメリットとなったバンドもいた。しかしそれ以外の多くの無名バンドは、イカ天に出て一発で顔を売ることを目指し、番組サイドや視聴者もそれを待ち望んでいた気配があった。インパクト重視の色物バンドによるお祭り騒ぎが、バンドブームに水を差したことは否定できない。 続き・全文はソースをご覧ください…