1: デビルゾア ★ 2023/10/05(木) 05:25:32.00 ID:JAO4O0vf9 「能力主義」が台頭する現代社会で「日本のエリートたち」に警鐘を鳴らす (中略) アメリカのシンクタンク、ピュー・リサーチ・センターが\'12年に発表した調査結果で、自分の努力がどれほど成功につながると思うかを調べたものです。これによると、アメリカでは実に77%もの人が、自分の努力が成功につながっていると信じています (中略) しかし、努力すれば成功できるというのはただの”幻想”です。 それは「トップの大学に入った裕福な家庭の子どもの割合」を見れば明らかです (中略) たとえば、東京大学の場合は、学生の60%以上が、日本の所得上位14%の家庭から来ています。 ハーバード大学でも、3分の2の学生はアメリカの所得規模上位20%の家庭出身でした (中略) ここからわかるのは、高学歴の学生の親もまた高学歴・高収入である場合がほとんどだということです。つまり、学生たちは、親やさらにその先の代から、高水準の教育を受ける特権を受け継ぎ、享受しているのです。 (中略) 努力によって地位を獲得してきたと考える根本には、「能力主義」の思想があります。 「能力主義」は、チャンスが平等であれば、勝者はその対価を得られる、というものです。誰しもが同じスタートラインからレースを始められるのであれば、努力した人間が勝つ。だから、努力は報われるのだ―。これが能力主義の魅力です。 (中略) たとえば徒競走で考えてみましょう。ある選手が、健康で栄養状態もよく、高級なランニングシューズを持っていたり、最高のコーチやトレーナーから指導を受けたりする一方で、そうしたものを何一つ持っていない選手もいる。彼らの競争は真の意味で平等と言えるでしょうか。 そこでは、努力とは無関係の要素が、レースの勝敗を決めている可能性があるのです。 大学入試の場合は、親の所得や、家庭環境がそうです。しかし「能力主義」の世界では、そうしたアドバンテージは無視されて、結果だけが見られる。すると、平等なレースのように見えるが、実際のところはそうではない。先ほどのデータからわかるように、生まれによる格差はいまだに存在しているのです。 むしろ、「能力主義」によって格差が広がっている。格差の再生産により、現代に封建制の「世襲貴族」が復活しつつあると考えています。 たとえば、裕福な家庭では、幼少期から教育に投資をし、いい大学に入学させることができる。 しかし、貧困層は子どもへの教育投資を満足にできず、貧困のサイクルから抜け出せない。 現代社会において格差は固定され、むしろ広がり続けているのです。 こうして最初は「努力した者は報われる」という”平等”を約束していたはずの能力主義が、今では格差を正当化するものとして機能してしまっているのです。 (全文はこちら) ────────────────── 日本の貧困層が中流階級にのぼるのは困難だと言えるワケ…「運が良かった」人間が負うべき責任を考える (中略) アメリカには「アメリカン・ドリーム」があると言われ続けてきました。貧しい家庭に生まれても、常に成功するチャンスがある。だから、我々は格差についてあまり悩む必要がない―そう信じられてきた。 しかし、これは「能力主義」の社会が植え付けてきた”幻想”にすぎないのです。 こうした格差の再生産は、近年さらに加速しているように見えます (中略) 私は、トップ大学出身者が社会でリーダーシップをとることに反対しているわけではありません。そうではなく、競争が激しい「能力主義」の世界で、自分の成功に対し誤った態度でいることに警告をしているのです。 エリートには、社会全体に貢献する責任があります。自分たちが享受してきた状況や幸運を踏まえ、そうした「運」に恵まれなかった人たちの生活を改善しようとする義務があるのです。 (中略) エリートたちは、自分の「運」によってその地位を得られている。だからこそ、社会への還元が求められるのです。 (全文はこちら) 引用元: ・【社会】能力主義が台頭する現代社会で「日本のエリート達」に警鐘を鳴らす─「運が良かった」人間が負うべき責任を考える [デビルゾア★]…