1: 樽悶 ★ DQ903Dwc9 2025-09-01 23:41:25 石川慶子(危機管理/広報コンサルタント) 2025年7月28日に「第二回 航空機事故と災害派遣 ~ JAL123便墜落事故から40年 現場からの証言」をテーマに、当時の事故派遣隊員や護衛艦まつゆきの機関長、ファントム機操縦士ら自衛官OBが証言するシンポジウムが開かれました。「JAL123便 事故究明の会」が主催し、1985年8月12日のJAL123便墜落事故の事実を後世に正しく伝え、当時の関係者および自衛官の名誉を守ることを目的として当時の自衛官らが証言する内容でした。それにしても一体なぜ今なのか、40年目の節目だからなのか。筆者もシンポジウムに参加して耳を傾けました。 陰謀説が仮説慰霊碑の建立にまで発展 当時の自衛官が勢ぞろいして証言したのはネットで拡散し続ける「自衛隊のミサイル発射」や「ファントム機による追撃墜」といった陰謀説への危機感からでした。発信の主体は青山透子氏です。筆者も3年前、青山透子氏の本を読み衝撃を受けた経験があります。その後、青山氏の発信が過激化していく様子やネットでさまざまな説が出ているのは認知していたものの、いつものようにネットだけで終わるだろう、いつの時代にもあることだろう、と距離をとっていましたので、今ごろことさら否定する必要があるのだろうかと疑問を抱いていました。 途中で身を乗り出して聞いてしまったのは、墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」への登山道に自衛隊撃墜説を伝える慰霊碑が立っていると説明された時でした。ネットだけではなく現実世界に影響を及ぼし始めていたのです。その慰霊碑について調べたところ、自民党の佐藤正久参院議員が4月10日の参院外交防衛委員会で、日航機墜落事故について「加害者はN総理と自衛隊幕僚長と書かれている」「登る人はみんな見ている」「国民の信頼がないと自衛隊は動けない」と訴えていたのです。事実無根の陰謀説がネット上だけではなく、慰霊碑にまで影響を及ぼしてしまっている現実に愕然とし、こうした危機感が自衛官OBらを証言シンポジウムへと突き動かしたのだと理解しました。 一体なぜここまで陰謀論が広がってしまったのでしょうか。シンポジウムでの重要な証言と陰謀説への反論、検証報道から考察します。 (省略) ■シンポジウム参加報告(日本リスクマネジャー&コンサルタント協会) 青山透子氏は「仮説」「口封じ」と主張 陰謀説とは一体どんな内容なのでしょうか。シンポジウムでは青山透子氏の著作物を提示しながら、主な陰謀説5つについて1つずつ反論がなされました。 1.自衛隊のミサイル発射による衝突 2.自衛隊のファントム機による追撃墜 3.墜落現場特定の遅延 4.火炎放射器による証拠隠滅 5.海上自衛隊出身の機長の遺体や制服の消滅 1を取り上げると、相模湾で機体を回収した護衛艦まつゆきからミサイルが発射されたという説については、亀田康平氏(事故当時護衛艦まつゆき艤装員 機関長)と鎗光和博氏(事故当時護衛艦まつゆき艤装員 補給長)は、「事故当日、まつゆきは相模湾にはいませんでした。東京豊洲の石川島播磨重工業東京第一工場の岸壁に係留されており、造船所は朝から作業を行い、翌日の海上公試に備えて機関の運転準備をしていました」と証言。亀田氏自身も艤装員として、準備状況の検証やミーティングに参加しており、当日は海に出ていなかったことが強調されました。また、補給長として弾薬類の管理に携わっていた鎗光和博氏は、事故当時、「まつゆき」にミサイルを含む弾薬類は搭載されていなかったと証言しました。船がまだ海上自衛隊に引き渡されておらず、造船所側の船であったため、この時期に弾薬類の請求をした記憶はない。仮に請求したとしても、補給所長が請求内容を確認し、適宜適切であるかを判断するため、艤装中の護衛艦にミサイルが供給される可能性は極めて低いと説明しました。さらに、艦対空ミサイルの射程は20km程度であり、JAL123便が飛行していたような高高度には届かないことも指摘しました。 2以下の陰謀説については、詳細な証言が動画が配信されています。 ■元自衛官らによる証言シンポジウムは下記で視聴可能 一方、青山透子氏はこのシンポジウムでの証言に関して産経新聞の取材に応じています。「仮説である」「口封じは生半可なものではなかったようだ」「対話はしない。レベルが違う」などと回答。事実を受け止めない、対話をしない浅はかな主張にしか見えません。(以下ソース) 8/25(月) 9:01…