1:蚤の市 ★:2022/12/31(土) 12:30:53.27 ID:XFyJWY+m9.net 「世界最大の自動車連合」日産が描いた幻の構想はいかにして生まれ、消滅したか 三菱グループ入りの先に見据えたホンダとの提携 日産自動車がフランス大手ルノーによる実質支配から脱し、三菱グループに合流する方向で2019年9月に関係各社の首脳がいったん合意していたことが今年11月、共同通信の取材で判明した。日産はその先にホンダへの提携を打診する青写真まで描いていた。だが発表予定日のわずか1週間前、当時の日産トップでプロジェクトを主導していた西川広人社長が失脚し、計画は霧消した。日産、ホンダ、三菱自動車の国内3社でトヨタ自動車やドイツ大手フォルクスワーゲン(VW)などに対峙する「幻の大連合」構想はいかにして生まれ、ついえ、そして現在にどう受け継がれたのか―。取材の舞台裏と合わせて振り返る。(共同通信取材班) ▽日産の再生託した「新月プロジェクト」 日産とルノーの関係は1999年までさかのぼる。経営危機に陥った日産に対し、ルノーが救済の手を差し伸べた。立て直しのためにルノーからカルロス・ゴーン氏が派遣され、2001年に日産の最高経営責任者(CEO)に就任した。ゴーン氏の辣腕の下、日産の業績はV字回復し、事業規模で上回る日産をルノーが支配するいびつな関係が生まれた。現在、ルノーは出資比率で日産の43%を握る筆頭株主だ。 この関係の解消に向けたプロジェクトの存在を共同通信の記者が把握したのは今年8月。携わった日産の元経営幹部の証言がきっかけだった。「3年前に日産が三菱グループに入ることで合意し、ホンダに(提携の)秋波を送る準備を整えていた。ホンダと手を組めば、トヨタに対抗する大きなまとまりができる。あと一歩だっただけに悔やまれる」。 計画は日産社内で「新月プロジェクト」と呼ばれていた。ルノーが持つ日産株の一部を三菱商事に売却し、日産が三菱グループに加わる壮大な構想だ。ルノーによる日産への影響力を抑え再出発を図ることを目的とし、闇から新たに光を放ち始める新月と日産を重ねて名付けられた。 この話を聞いた記者は、当時の記録を見返した。2019年の世界販売台数は日産とホンダがそれぞれ約518万台、三菱自動車が約123万台だ。単純に足し合わせると1150万台を超え、当時の世界トップだったVWグループの約1097万台、2位のトヨタグループの約1074万台を抜いて、首位に躍り出る。世界の自動車業界を揺るがす未曽有の巨大再編構想だったのではないかと身震いした。これを報じるにはさらなる裏付け取材が欠かせない。数人のチームを組み、幹部を一人ずつたどる地道な取材が始まった。 ▽核心人物の証言「ルノーを説得し、いけるという感触があった」 だが取材は一筋縄ではいかなかった。過去の話とはいえ、日本を代表する巨大企業が絡む再編に関係者の口は一様に重かった。計画がごく少数の幹部の間で極秘に進められたため、詳細を把握していない取締役もいた。日産のある幹部は「新月プロジェクトなどという計画は一度も聞いたことがない。日産がホンダとの連携を本気で考えていたなんて、ホンダ側が聞いたら笑っちゃうぐらい飛躍しすぎた構想ではないか」と真っ向から否定した。 事実関係の確認に手間取る中、プロジェクトの核心を知る立場にあった日産の元首脳が10月中旬、取材に応じた。現役時代はメディアの前でめったに本音を見せない印象が強かっただけに、取材の依頼を快諾してくれたのには正直驚いた。 「日産とルノーのいびつな資本関係は将来に禍根を残す。正常化に向けた道筋を早く付けたいと思っていた。整理すべきだとルノー側をずっと説得し、これはいけるなという感触があった」。当時の思いについて淡々と、それでいて力強く語るやりとりの中で、取材チームは新月プロジェクトが間違いなく存在したのだと確証を得た。 日産とルノーに三菱自動車も加わった3社連合をルノー主導ではなく緩やかな連合体に移行させる。そのために三菱自動車と関係が深く日産株を買い取る資金力がある三菱商事に協力を仰ぐ。元首脳は一連の計画は「自然な発想だった」と話した。 ▽混乱の中、求心力の回復を狙った経営陣 複数の証言をまとめると、プロジェクトが日産の社内で持ち上がったのは2019年5月ごろ。社長の西川氏がルノー支配から脱するために側近に示した切り札だった。(略) ▽祝賀会のさなかの電話に会場は凍り付いた(略) ▽再び動き出したルノーとの交渉、楽観論は消え協議は難航(略) ▽記者に届いたメッセージ「今思っても、実に惜しいプログラムだった」(略) 47NEWS 2022/12/31 11:00 (JST)…