402: 名無しさん@おーぷん: 2015/11/25(水)11:21:41 ID:XDn祖父の写真を見つけて、衝撃を受けた話。私の祖父はモダンな人で、戦前の農村でバイオリンを習うような優男(親戚談)だった。手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで、変わった人だと言われていたらしい。背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの、村で一番の庄屋さんの長男がお国のために行かないなんて、と非難されて、泣く泣く出兵。手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。その後、南の島で自分の隊が全滅し、たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり、服を縫ってやる代わりに英語を教えてもらうようになった。もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが、祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wでさっそうと佐世保港に現れ、迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだwこの前の連休に帰省した時に、祖父と同じ収容所にいた人の身内からそんな祖父の思い出話を聞いてその後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか、例の白い礼服を着た祖父の得意げな写真とか、アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って可愛がってもらっていたらしい。ここまで書いたら本人特定されるかな?この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw …