1961年10月30日、ソ連は北極海のノヴァヤゼムリャで、水爆「ツァーリ・ボンバ」の実験を行いました。出力は約50メガトン。実際に爆発した核兵器としては、今も史上最大です。ところがこの爆弾は、出力のわりに放射性降下物が少なかったとされています。ソ連は100メガトン級の設計を、ウランを鉛に替えて半分に抑えたうえで実験していました。海外掲示板には、皮肉まじりの感想から仕組みの解説まで、さまざまな声が集まっています。 ※注:「メガトン」は、TNT火薬100万トン分の爆発力を表す単位です。「放射性降下物」は、核爆発で生じて地上に降ってくる放射性物質のことで、日本では「死の灰」とも呼ばれてきました。 ※注:元スレッドのタイトルは部品の名前を “temper” と書いていますが、正しくは “tamper”(タンパー)です。また「降下物が少なかった」は、あくまで出力のわりに、という相対的な話です。放射性物質が出なかった、安全だった、という意味ではありません。 今日の知ってた? 📅 ツァーリ・ボンバは、ソ連が1961年10月30日に北極海のノヴァヤゼムリャ上空で爆発させた水爆。出力は約50メガトンで、実際に爆発した核兵器として史上最大。 📐 設計上の最大出力は100メガトン級だった。核融合の燃料を包むウラン238の層(タンパー)を鉛に置き換え、出力をおよそ半分に抑えて実験した。 ⚛️ その結果、出力の約97%が核融合によるものになった。放射性降下物のおもなもとになる核分裂の割合が小さく、出力あたりで見れば、大気圏内の核実験のなかでもとくに降下物が少なかったとされる。 ⚠️ ただし、核分裂による分だけでも約1.5メガトンとされ、広島に投下された原爆のおよそ100倍にあたる計算になる。放射性物質が出なかったわけではない。 ✈️ 投下したのは改造爆撃機Tu-95V。爆弾は重さ約27トン、全長約8メートル。パラシュートで降下を遅らせ、地表から約4,000メートルの高さで爆発した。 背景:史上最大の水爆「ツァーリ・ボンバ」とは 米国・英国・ソ連の3か国は、1958年の秋から核実験を自主的に止めていました。しかし1961年、ベルリンをめぐって東西の緊張が高まるなか、ソ連は8月末に実験の再開を発表し、9月から核実験をふたたび始めます。10月17日、フルシチョフ首相は共産党大会で、一連の実験を50メガトンの水爆で締めくくると表明しました。このとき「TNT火薬1億トン分の威力を持つ爆弾もあると言ってきたし、実際に持っている。だが爆発させるつもりはない。どんな辺地で爆発させても、自分たちの窓を割ってしまいかねないからだ」とも述べています。1億トン分は、100メガトンにあたります。 国連総会は10月27日、この実験を思いとどまるようソ連に訴える決議を、賛成87、反対11、棄権1で採択しました。ソ連が実験を行ったのは、その3日後です。 爆弾を運んだのは、大型爆撃機Tu-95を改造したTu-95Vでした。爆弾は重さ約27トン、全長約8メートル、直径約2メートル。これを積むために、爆弾倉の扉と胴体の燃料タンクを取り外す改造が施されています。熱線をはね返すため、機体は白い特殊な塗料で塗られていました。機長はアンドレイ・ドゥルノフツェフ少佐です。高度約1万500メートルで投下された爆弾は、面積1,600平方メートルの巨大なパラシュートでゆっくり降下し、地表から約4,000メートルの高さで爆発しました。パラシュートは、爆撃機が退避する時間を稼ぐためのものです。それでも、乗員が生還できる見込みは50%と見積もられていたとされます。爆発の時点で機体は約39キロメートル(別の資料では約45キロメートル)離れていましたが、約115キロメートルの地点で衝撃波に追いつかれ、高度を約800メートル失いました。機体は立て直され、無事に着陸しています。 爆発の規模を示す数字には、資料によって幅があります。火球は直径約8キロメートル。きのこ雲は高さ60キロメートル以上(資料により約60〜67キロメートル)に達したとされます。閃光は1,000キロメートル以上離れた場所からも見え、約55キロメートル離れた集落の建物はすべて破壊されました。最大で約900キロメートル離れた場所でも窓ガラスが割れたと伝えられ、大気を伝わる衝撃波は地球を3周したとされます。出力は、広島に投下された原爆の数千倍にあたります。広島の原爆の出力の見積もりに幅があるため、資料によって約3,300倍、約3,800倍などと書かれています。 もう少し詳しく なぜ鉛に替えると降下物が減るのか。水爆は、まず原爆(核分裂)を爆発させ、そのエネルギーで核融合を起こす兵器です。核融合の燃料は「タンパー」と呼ばれる密度の高い層で包まれています。燃料を押さえ込んで反応を進みやすくするための部品ですが、ここにウラン238を使うと、核融合で飛び出した高速の中性子がウランに当たって核分裂を起こし、出力が大きく上積みされます。多くの設計では、出力の半分以上がこのウランの核分裂から生まれるとされます。一方で、放射性降下物のおもなもとになるのは、核分裂で生じる物質です。ツァーリ・ボンバでは、このウラン238を、核分裂を起こさない鉛に置き換えました。出力は半分の約50メガトンになりますが、核分裂による分は全体の約3%、およそ1.5メガトン(2メガトン近いとする資料もあります)にとどまります。設計どおりなら核分裂による分は50メガトンあまりになるはずだったので、97%ほど減らしたことになる、と説明する資料もあります。 ※注:この爆弾が何段式の構造だったのか、どの段のタンパーを替えたのかは、資料によって説明が少しずつ異なります。西側では長く約57〜58メガトンと推定されていましたが、1991年にソ連の科学者が自分たちの計測では50メガトンだったと明かし、現在は50メガトンが広く使われています。 「少ない」はあくまで出力あたりの話。米スティーブンス工科大学のアレックス・ウェラースタインが、米誌『ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』に寄せた記事(2021年)は、核分裂が3%しかない爆弾でも、客観的に見て「クリーン」とは言えない、と書いています。それでも2メガトン近い核分裂生成物を放出しているからです。そのうえで、全体の出力に占める核分裂の割合で比べれば、実験された核兵器のなかでもっとも「クリーン」な部類に入る、としています。降下物が抑えられた理由はもうひとつあります。単純な計算では火球が地表に届く高さでの爆発でしたが、先に地面に達した衝撃波が跳ね返って火球を押し上げ、火球は地表に触れなかったとされます。火球が地面に触れると、土砂が大量に巻き上げられて放射性物質と混ざり、周辺に濃い降下物をもたらします。それが避けられたわけです。 なぜ半分にしたのか。設計どおりの100メガトンで爆発させていた場合、1945年以降に世界中の核爆発で生じた核分裂由来の降下物の総量を、この1発で約25%増やしていた、という試算があります。しかも、降下物の多くはソ連国内の人が住む地域に降ると見込まれていました。投下した爆撃機が安全な距離まで退避しきれないおそれもあったとされます。 設計を率いたサハロフ。開発を率いたのは、物理学者のアンドレイ・サハロフ(1921〜1989年)です。ウランを鉛に替えるよう提案したのも彼だとされます。サハロフは1958年の時点で、たとえ「クリーン」な核兵器であっても、1メガトンの爆発ごとに、その後の8,000年間で世界におよそ6,600人の早すぎる死をもたらす、という試算を出していました。その後も大気圏内での核実験をやめるよう訴え、1963年8月5日にモスクワで米国・英国・ソ連が調印した部分的核実験禁止条約の成立にも、役割を果たしたとされます。大気圏内・宇宙空間・水中での核実験を禁じた条約です。1968年に書いた論考が国外で発表されたのをきっかけに軍事研究から外され、1975年にはノーベル平和賞を受けました。 兵器としては実用にならなかった。ツァーリ・ボンバは重すぎ、大きすぎて、実戦に配備できる兵器ではありませんでした。開発に携わった人たち自身が、これは兵器ではなく一度きりの装置だった、と述べています。爆弾を大きくしても、被害が及ぶ範囲は出力ほどには広がりません。先のウェラースタインの記事によると、10メガトンの爆弾が中程度の被害を与える範囲は爆心地から約15キロメートルで、100メガトンにしても約33キロメートルにとどまります。 日本との関わり。この実験の中止を国連で訴えた国のひとつが、日本でした。外務省の外交青書(1962年版)によると、日本は10月20日、カナダなど5か国とともに、50メガトンの爆発を差し控えるようソ連に訴える決議案を提出しています。先に触れた10月27日の決議は、この案をもとにしたものです。外交青書が伝える、提出当日の日本の岡崎代表の発言要旨には「核兵器の恐ろしさを体験した国の代表部は、こうした事態の発展を前に沈黙を守っていることはできない」とあります。同じ外交青書は、その4日前の10月16日に別の委員会で日本の代表が、実験の再開に関連して、最近日本各地で強い放射性降下物が検出されていると指摘したことも記しています。実験当日の爆発による気圧の波は、日本各地の気圧計にも記録されました。気象庁の研究者が1962年にまとめた報告によれば、最短の経路で届いた波、地球の反対側を回ってきた波、地球を一周して戻ってきた波の3種類が検出されています。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 「放射性降下物を減らすために」か。うん、どんなときでも環境への気配りを忘れないのは大事だよね。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 冗談みたいだけど、理由としてはわりとその通りなんだよ。設計どおりの100メガトンだと、降下物の多くがソ連国内の人が住む地域に降ると見込まれていた。投下した爆撃機が逃げ切れないおそれもあって、半分に抑えたんだ。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) 出力の数字は、ソ連側が50メガトン、アメリカ側の当時の推定が57〜58メガトンだったんだよね。1991年にソ連の科学者が、自分たちの計測では50だったと明かして、今は50のほうが通ってる。 4. 海外の名無しさん 鉛のタンパーにしたことで、出力は設計上の100メガトンから半分になった。あのソ連ですら「さすがに少し抑えておこうか」となる規模だったわけだ。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) そもそも「鉛のタンパー」が何なのか、普通の人は知らないと思うんだけど。 6. 海外の名無しさん(>>5への返信) 知ってる人の9割は、この実験の話を読んで覚えたんだと思う。大きな水爆は入れ子の構造になっていてね。まず原爆を爆発させ、その力で核融合を起こし、さらに核融合の燃料を包んだウランの層で、もう一度核分裂を起こさせる。七面鳥に鴨、鴨に鶏を詰めた料理みたいなものだよ。そのウランの層を鉛に替えたのが今回の話。 ※ 七面鳥の中に鴨、その中に鶏を詰めて焼く「ターダッキン」というアメリカの料理のこと。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) つまり鉛に替えたら、七面鳥抜きの「鴨と鶏だけ」になったと。たとえが妙に分かりやすくて悔しい。 8. 海外の名無しさん 考えてみれば、鉛っていうのは要するに年を取ったウランだからね。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) 年を取って、くたびれて、錆びついて、かび臭い事務所の隅に置かれたままのウランだな。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) 細かいことを言うと、錆びるのは化学反応だから別の話だよ。ウラン238は放射線を出しながら少しずつ別の元素に変わっていって、最後は鉛に落ち着く。半減期は約45億年。気の長い話だ。 11. 海外の名無しさん 降下物が抑えられた理由はもうひとつあるよ。爆発の衝撃波が先に地面に届いて跳ね返り、火球を下から押し上げたんだ。それで火球が地表に触れなかった。公開されている実験の映像にも、それらしい瞬間が映ってる。見ていて背筋が寒くなる映像だけどね。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) 空中での爆発は、地表での爆発より降下物がずっと少なくなるんだよね。地表で爆発すると、地面の土や砂が大量に巻き上げられて放射性物質と混ざり、風下に降ってくる。火球が地面に触れるかどうかは大きな分かれ目なんだ。 13. 海外の名無しさん 鉛を使ってくれて本当によかった。何か体に悪そうなものを使っていたらどうしようかと心配していたんだよ。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) 鉛だろうと何だろうと、核爆弾であることに変わりはないんだけどね。 15. 海外の名無しさん 「クリーンな核兵器」って言葉、どう考えても矛盾してるよな。 16. 海外の名無しさん(>>15への返信) 出力のわりには少ない、というだけの話だからね。核分裂による分は全体の3%ほどでも、もとが50メガトンだから約1.5メガトンある。広島に投下された原爆のおよそ100倍だよ。安全とはほど遠い。 17. 海外の名無しさん 半分に抑えてもなお、投下した爆撃機の乗員が生きて帰れる見込みは五分五分と言われていたらしい。実際、100キロ以上離れたところで衝撃波に追いつかれて、機体は高度を800メートルほど失ってから立て直したそうだ。 18. 海外の名無しさん(>>17への返信) 爆弾に巨大なパラシュートを付けて、ゆっくり降りてくるあいだに爆撃機が逃げる時間を稼いだんだよね。それでその数字なんだから、設計どおりの出力で実験していたらどうなっていたことか。 19. 海外の名無しさん きのこ雲の高さは60キロ以上あったそうだ。エベレストのおよそ7倍。もう「雲」という言葉で呼んでいい高さじゃないよ。 20. 海外の名無しさん この実験でかえってはっきりしたのは、爆弾を大きくすることの限界だったと思う。出力を10倍にしても、被害が及ぶ範囲は2倍ちょっとにしかならないそうだ。重すぎて運ぶのも難しいし、兵器としては割に合わない。 21. 海外の名無しさん(>>20への返信) 実際、これは実戦に配備する兵器というより一度きりの実験装置で、同じものが配備されることはなかったんだよね。力を見せつけるための政治的な実験だった、という見方が強い。 22. 海外の名無しさん 開発を率いたサハロフが、そのあと大気圏内の核実験をやめさせようと訴える側に回って、のちにノーベル平和賞を受けている。この爆弾を作った本人が、だよ。 23. 海外の名無しさん(>>22への返信) ウランを鉛に替えようと提案したのもサハロフだとされてるね。大気圏内の核実験が、長い目で見てどれだけの人の命を奪うことになるかを、自分で試算していた人だから。 24. 海外の名無しさん 映像を見たことがあるけど、すごいというより、ただただ怖かった。これを本当に実験していた時代があったんだなと思うと、言葉が出てこない。 25. 海外の名無しさん 人類がこの規模の爆発を起こしたのは、今のところこの一度きり。このまま最後の一度であってほしいと、心から思う。 まとめ 史上最大の核爆発となったツァーリ・ボンバは、設計の半分の出力に抑えられ、出力のわりには放射性降下物の少ない実験でした。ただしそれは相対的な話で、核分裂による分だけでも広島の原爆のおよそ100倍にあたります。コメント欄では、皮肉や冗談にまじって仕組みを丁寧に解説する声が多く、「クリーンな核兵器」という言葉そのものへの違和感も目立ちました。設計を率いたサハロフがのちに核実験の停止を訴える側に回ったこと、そしてこの規模の爆発が今のところ一度きりであることを、重く受け止める人も少なくなかったようです。 元ソース: ツァーリ・ボンバは、史上最も強力な爆発装置でありながら、同時代のほかの核爆弾と比べて放射性降下物が多くなかった。ウランのタンパーの代わりに鉛のタンパーを使っており、それは放射性降下物を減らすためだった The post 「100メガトン級の設計を、ウランを鉛に替えて半分に抑えた」史上最大の水爆ツァーリ・ボンバは、なぜ出力のわりに放射性降下物が少なかったのか…? appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…