
1: 樽悶 ★ +i2FTKOO9 2026-08-19 23:43:14 海上幕僚副長や横須賀地方総監など海上自衛隊の要職を務めた真殿知彦氏は、今年1月に『日航123便墜落「撃墜説」の真相』(PHP研究所)を上梓し、1985年8月12日に発生した日航機墜落事故にまつわる陰謀論のひとつ「自衛隊による撃墜説」を科学的に完全否定した。真殿氏はその後も調査を続け、陰謀論を生み出した「犯人」を突き止めようとしている。 ■そもそもオレンジ色のミサイルなどない 日航123便墜落を自衛隊による撃墜だと主張する人(以下、「陰謀論者」)たちは、「オレンジ」または「赤」の飛行物体の存在に異常に執着している。オレンジまたは赤の訓練用ミサイルまたは標的機が日航機に激突したというのは、陰謀論者らの創ったストーリーの大前提だ。 逆に言えば、オレンジまたは赤の飛行物体が存在しなければ、陰謀論者らの説は全てが破綻する。私は海上自衛隊で約40年勤務し、航空部隊の指揮官も務めた専門家として断言するが、こうした撃墜説は完全なデタラメである。 陰謀論者たちは、事故当時、相模湾には新造されたばかりの護衛艦「まつゆき」がいて、そこから発射されたオレンジ色の訓練用ミサイルが日航機の垂直尾翼に激突したと主張する。だが、そもそも海上自衛隊にはオレンジや赤色のミサイルはない。当時も現在も、海自が保有するミサイルはすべて白かグレーで、実弾と訓練弾を見分けるために黄色と青色のマーキングがされているが、どこにも赤やオレンジの塗装はされていない。 また、事故の3日前に日本海で発射試験が行われた、当時開発中のSSM-1(88式地対艦誘導弾)が衝突したと主張する陰謀論者もいる。この開発中の飛翔体の一部が赤く塗装されていることに目をつけたのだろう。しかし、SSM-1を発射可能な艦艇は当時の海上自衛隊に1隻も存在しなかったことは私の著書で詳細に述べた。 現在に至るまで、SSM-1はまつゆきを含む「ゆきクラス」とその後の「きりクラス」には一度も装備されたことはない。開発が終わったSSM-1が初めて海上自衛隊に装備されたのは平成2年(1990)度計画の1号ミサイル艇からであり、しかもその量産型のミサイルは実弾も訓練弾もグレーである。さらに言えば、このミサイルは「対艦誘導弾」という名称が示すとおり、航空機を狙う対空ミサイルではなく、艦艇を攻撃する対艦ミサイルである。 にもかかわらず、陰謀論者たちは「赤いミサイルが発射されるのを見た」という目撃情報があると主張する。この世に存在しない赤いミサイルを、誰がどうやって目撃したのだろうか。 何を主張するのも勝手だが、せめて実在する兵器でストーリーを構成したらどうだろうか。しかし、基本的な軍事の知識がない人たちは、こんなデタラメに簡単にだまされてしまう。 (省略) それでも「オレンジ」または「赤」の飛行物体に執着する陰謀論者たちが次に目につけたのは、海上自衛隊が当時保有していた次の3種類の標的機だ。 ・低速標的機KD2R-3/5/5改 ・高速標的機BQM-34(ファイアービー) ・高速標的機BQM-74(チャカII) 標的機とは、簡単に言えば、護衛艦が敵機や敵ミサイルなどを迎撃する訓練に使用する「的」だと思ってもらえばよいだろう。いずれもオレンジ色で塗装された標的機は陰謀論者らにとっては格好の存在であるが、この「標的機衝突説」も全くのデタラメである。 発端となったのは、ある航空評論家がテレビで何の根拠も示さずに標的機衝突の可能性を述べたことだった。そして、標的機説を大々的に発表したのは吉原公一郎というジャーナリストだ。当時の『週刊ポスト』(1985年9月20日号)で吉原氏は、R-144という愛知県南方にある空自の訓練海域から逸脱したファイアービーが、日航機に衝突した可能性を指摘した。彼はその根拠として、墜落現場の御巣鷹の尾根で見つかった「オレンジ色の物体」がファイアービーであると主張した。 しかし、防衛庁(当時)がすぐに「ファイアービーは海上自衛隊の訓練支援艦あづまより発射されるもので、8月11日から21日までは呉基地に在泊中でした。もちろん、12日も訓練は行っておりません」と反論した。ファイアービーやチャカIIなどの標的機は、当時はあづま1隻しかなかった訓練支援艦の高速標的機艦上追尾管制装置(TCATS)によって操縦される。事故当日にあづまは瀬戸内海の呉に停泊していたのに、相模湾付近でこれらの標的機が飛べるはずもない。すると、吉原氏も翌週の週刊ポスト(85年9月27日号)では「今回の垂直尾翼破壊が『外部衝突』によるものでなければ幸いだが」とトーンダウンした。(以下ソース) 8/12(水) 6:04配信…