1: 七波羅探題 ★ W8m3GSH59 2026-07-30 09:35:56 ■「勉強しなくていいから楽なんでしょう?」という誤解 推薦入試の話をすると、必ずと言っていいほど、こう言われます。「一般入試より難易度が低いんですよね?」「勉強しなくていいんだから、楽なんじゃないですか?」 たしかに「共通テストで良い点数を取る」「2次試験の数学で難問を解ききる」などの意味での“学力の頂上決戦”は、推薦入試にはあまりありません。厳密に言うと、学力試験がセットの大学や英語資格必須な大学も多く存在しますが、それでも当たり前に一般入試よりは「学力一本勝負」ではありません。だからこそ「勉強しなくていい入試=楽な入試」というイメージがついてしまうのだと思います。 しかし、このイメージは間違っています。自分は推薦入試専門塾である「リザプロ」という会社でこれまで数え切れないほどの受験生に伴走し、推薦入試の情報を1万人以上に聞くデータプラットフォーム「未来図」を運用してきました。そのうえではっきり申し上げたいのは、推薦入試には、一般入試には存在しない、独特の残酷さがある、ということです。今日は、その正体について書きたいと思います。 一般入試を経験された方であれば模試という存在の重みをよくご存じのはずです。全国何万人という受験生の中で、自分がいまどの位置にいるのか。志望校の合格ラインまで、あと何点足りないのか。この教科をあと10時間勉強すれば、偏差値がどう動くのか。数字が、次にやるべきことを教えてくれます。数学を10時間やれば、模試の得点が数点上がる。英単語をあと500語詰め込めば、長文の読解速度が変わる。日本史のこの分野を潰せば、失点が減る。努力の量と、合格可能性の距離感が、明確に対応している。それが一般入試という制度の、ある種の“優しさ”でもあるのです。 ところが、推薦入試には、この模試という存在が事実上ありません。科目が定まっていないのです。志望理由書、活動報告書、小論文、面接、プレゼンテーション、口頭試問――大学ごと、学部ごとに、問われる内容も形式もばらばらです。全国共通の物差しで自分の位置を測る手段は、どこにもありません。ある学部で高く評価される志望理由書が、別の学部では「うちには合わない」と一蹴されることも、日常的に起きます。 もうひとつ、推薦入試の独特な現象があります。一般入試であれば、偏差値のヒエラルキーは基本的に一直線です。早稲田に受かる学力のある生徒が、日東駒専に落ちるということは、まず起きません。仮に起きたとしても、それは体調不良や当日のミスといった例外として説明されます。 ところが、推薦入試では、これが当たり前のように起きます。早稲田大学の総合型選抜には合格したのに、同じ年に受けた日本大学の推薦では不合格になった、という事例は別にあります。逆のパターンも当然あります。GMARCHには軒並み落ちたのに、慶應のとある学部だけ突き抜けて合格するというケースも決して珍しくありません。 (中略) もう一歩、踏み込んで書きます。一般入試の感覚で言えば「早稲田の法学部にも、同じ早稲田の教育学部にも受かった」というのは、そこまで違和感のある話ではありません。同じ大学なら、学部間ではあまり偏差値の差がない場合が多いですから。 しかし、推薦入試の世界では、この現象は本来的にあまり起きるものではありません。なぜなら、法学部を受ける生徒は、法学部で学びたい理由を軸に、高校3年間の活動を積み上げ、法学部に向けた志望理由書を練り上げてくるからです。同じ生徒が、そのまま同じ大学の経済学部に出願しても「経済学部で学びたい必然」はそこには書かれていません。 つまり推薦入試は、大学の看板ではなく学部との相性で合否が決まる入試なのです。「早稲田だから受ける」「慶應だから出す」という発想では、そもそも書類の1行目から成立しません。 マッチングの入試という言葉を、私はよく使います。就活における企業と学生のマッチング、あるいは恋愛におけるお互いの相性に近い構造です。これがなぜ、受験生にとって苦しいのか。理由は、シンプルです。努力の方向を、自分で決めなければならないからです。 一般入試であれば「数学の微積を強化する」「英語の長文をあと20題解く」といった、努力の方向性が明確に存在します。しかし推薦入試では「この学部が求める人物像に、自分をどう寄せていくか」という、正解のない問いに向き合い続けることになります。自分の関心を掘り下げる。社会課題との接続を探る。学部の教育方針を読み込む。教授の研究テーマを追いかける。志望理由書を書いては書き直し、面接練習を重ねる――。この一つひとつには、「あと何時間やれば大丈夫」という目安が、ありません。 (以下引用先で) 東洋経済7/30 09:15…