
転載元: 征夷大将軍 ★ 2026/07/15(水) 07:52:21.87 ID:fA9EO7zv9 PL学園野球部「謎の廃部」から10年目の真実 “最後の部員12人”が戦ったラストゲーム 「廃部を断行したのは誰なのか?」いま明かされる苦悩と重圧 ※週刊ポスト2026年7月24・31日号 2026.07.15 07:00 週刊ポスト "最後の部員"62期生はどこにでもいるような球児たち 春夏通算7度の甲子園制覇を誇ったPL学園硬式野球部は、2016年7月15日、大阪大会初戦となる東大阪大柏原戦に6対7で敗れた。花園中央公園野球場に「ゲームセット」が告げられた瞬間、絶大な人気を集めた名門は事実上、消滅した。 (中略) ■現在の学園生徒数は3学年あわせて50人に満たない 2014年8月に初めてPL教団の聖地を訪れて以来、私は野球部の廃部問題と母体である教団の窮状をレポートしてきた。 野球部で相次いだ暴力事件だけでなく、信者数の激減により教団運営が窮地にあることから、廃部は「不可避」だと指摘。廃部を主導するのは3代教祖の御木貴日止氏ではなく、教団内で実権を握るその妻・美智代氏であると当初より報じてきた。活動休止からちょうど10年が経過した今、新証言も得られた。 最後の夏を前に、3代教祖と美智代氏が野球部のグラウンドを訪れたことがあったという。美智代氏が選手にチョコレートを振る舞うなかで、車椅子に乗った3代教祖が選手や関係者の前でこう呟いたという。 「どうしてこんなに(部員が)少ないの?」 言うまでもなく教団および学園が支援を打ち切ったのが理由だ。その言葉は3代教祖自身が廃部を推し進めたわけではないことを示唆していた。ならば廃部を断行したのは誰なのか。答えは明白だろう。居合わせた関係者はぶつけどころのない怒りに震え、選手たちも全身の力が抜け落ちた。 貴日止氏は2020年12月に死去。教団では5年以上も教祖不在という状況が続いたが、今年2月に4代教祖が誕生した。新たな教祖は未亡人となった美智代氏である。 公式戦未勝利で終わった62期生は進学先もなかなか決まらなかった。主将を務めた梅田は中学時代の恩師の助言で中央大学のセレクションに参加。 「牧秀悟(現横浜DeNA)や五十幡亮汰(現北海道日本ハム)がいて、レベルは相当高かった。PLのユニフォームを着て参加したのに不合格になったことは、野球人生における挫折でした」 梅田は福岡の日本経済大学に進学し、野球部にも所属した。だが、1年で退学し、関西に戻った。 梅田の1歳上となる土井は東京国際大学に進学して大学日本一を目指し、4年時にはキャプテンも任された。卒業後は一般企業に就職。だが、高校最後の1年間の経験から、「いつかは指導者になりたい」という夢を捨てきれず1年で退社し、同大に戻った。現在は嘱託職員として野球部のヘッドコーチを務めている。 吹田市出身の土井は中学時代、硬式野球の摂津シニアに所属した。同チームの先輩にあたるのがPLの34期生の宮本慎也だ。土井は62期生で唯一、年初のOB会の懇親会に出席しているが、大先輩の宮本とも挨拶を交わす。黄金期の指揮官で、甲子園通算58勝を誇る10期生の中村順司が土井らとの縁をきっかけに東京国際大の練習に顔を出して大学生を指導することもあるという。先輩と後輩のつながりを大切にするPL野球人らしいエピソードだろう。 現在の学園生徒数は3学年あわせて50人に満たない。OB会長の桑田真澄は野球部の復活について、「すべては4代教祖が誕生してから」と話していたが、4代教祖が認めるとは思えず、生徒もいないのだから復活は夢物語でしかない。 PL学園は総勢82人のプロ野球選手を生み、アマチュア野球の指導者も数多く輩出した。既に野球部はない。復活も絶望的だ。それでも土井がヘッドコーチを務める東京国際大のようにPL野球は全国に伝承されている。 ※長文のため全文は引用先で 6: 名無しさん@恐縮です 2026/07/15(水) 07:57:38.68 ID:PL5s08MZ0 花火大会も無くなったしPL金無いんだな…