19人が殺された。それだけでも十分に重い事件のはずなのに、ネットでは今も「植松は正しい」という言葉が出てくる。なぜ、こんな言葉が消えないのか。この違和感は、ただの炎上では片づけられない。そこには、介護の現実、福祉への不満、税金への怒り、そして「役に立つ人間だけが生きていいのではないか」という危うい考え方が混ざっている。これは、植松聖を再評価する記事ではない。考えたいのは、なぜ彼の言葉が今も一部の人に残ってしまうのか。なぜ人は、苦しい問題を前にすると、何かを悪者にして分かった気になってしまうのか。やまゆり園殺傷事件が残したのは、単なる凶悪事件の記憶ではない。人間の価値は、能力で決まるのか。支えられる側になった人間は、それでも人間なのか。この問いである。…