
1: 七波羅探題 ★ 2026/06/21(日) 09:21:54 ID:37+r5Zt49.net ■西日本に多かった朝鮮 韓国併合後、朝鮮では総督府によって「土地調査事業」が行われた。 土地所有権の確定を名目とするこの事業によって、村の共有地や所有権のあいまいな土地が官有地化され、日本の企業・地主に払い下げられた。 これによって土地を失った朝鮮農民たちは、生活の糧を求めて日本へと渡航するようになった。 1920年代までは農村部からの出稼ぎが多かったが、戦時下には強制力を持った徴用も加わり、終戦直前には約200万人にも及ぶ朝鮮が日本に居を置いた。 1945年の朝鮮の分布は西日本に偏っており、大阪府(約34万人)に次いで福岡県(約23万人)が第2位の集住地となっている(図7-4)。 一方、東京都は約11万人であり、山口県(約13万人)にも及ばない。 重工業都市であった大阪では、肉体労働者として多くの朝鮮が働いていた。 特に多かったのは済州島出身者であり、済州島と大阪を結ぶ「君が代丸」に乗って多くの朝鮮が大阪へ渡った。 1938年における大阪の朝鮮人口は平壌や釜山よりも多く、ソウルに次いで世界で2番目に朝鮮の多い都市となっていた。 日本と朝鮮を結ぶ航路としては、1905年に運航を開始した関釜連絡船も主要な役割を果たした。 この船は釜山から下関までを、開通当初は11時間半、のちに短縮され7時間で結んだ。 1943年には博多―釜山間の博釜連絡船も開通し、朝鮮と九州の結びつきはいっそう強くなった。 北部九州や山口県の炭鉱では、多くの朝鮮が過酷な労働に従事した。 山口県宇部市の長生炭鉱では、海底にある坑道の天井が崩落したことによって、183人の坑夫が犠牲となった。 そのうちの約7割にあたる136人は朝鮮だった。 1942年に起こったこの事故は「水非常」と呼ばれ、現在も遺骨の捜索活動が続けられている。 第二次世界大戦の終結後、朝鮮半島は米ソ冷戦に巻き込まれ、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に分断された。 「内地」にいた朝鮮たちの多くは終戦後に祖国へ帰還していったが、情勢の混乱もあって帰還は困難をきわめ、終戦時の約200万人のうち約60万人は日本に残る選択をした。 終戦後、「朝鮮」国籍となっていた在日朝鮮は、朝鮮半島の分断を受けて国籍を「朝鮮」から「韓国」へと変更することが可能になった。 現在日本で言う「朝鮮」国籍とは、基本的にこの国籍変更をしなかった者を指し、「北朝鮮」国籍を指すわけではない。 日本は北朝鮮を国家として承認していないため、日本では制度上は「北朝鮮」国籍は存在しない。 朝鮮戦争が休戦したのち、1959年には北朝鮮を支持する朝鮮総連の主導で「帰国事業」が開始された。 「地上の楽園」と喧伝されて多くの朝鮮が北朝鮮へ渡ったものの、実際は飢餓と貧困に苦しめられることになった。 戦前から日本に来る朝鮮は半島南部(現韓国)出身者が9割以上を占めていた上、戦後の「帰国事業」や帰化などによって「朝鮮」国籍者は減少し、現在では在日韓国・朝鮮のうち約94%が「韓国」国籍である。 現在、韓国人が多く集まるのは関西、とりわけ大阪・京都である(図7-5)。 大阪市生野区は全国の市区町村で最も韓国人の比率が大きく、帰化した人も含めれば約4分の1が韓国・朝鮮にルーツを持つ人びととされる。 JR鶴橋駅近くにある「大阪コリアタウン」は韓流ブームを契機として一大観光地となり、韓国コスメやK-POPアイドルのグッズを求める若い女性が集まる街になった。 一方、かつては大阪と並ぶ集住地だった福岡県では、現在は関西ほど韓国人割合は高くない。 なぜこのような違いが生まれたのだろうか。 一つの理由として、大阪と福岡では朝鮮の男女比に差があったことが考えられる。 1945年の朝鮮人口のうち、大阪では約6割が女性であったのに対し、福岡の女性割合は約3割に留まっていた。 日本全体での朝鮮人口の女性割合は38%であり、それと比べても大阪の女性割合は非常に高かった。 図7-6から分かるように、福岡と比べると大阪は早くから朝鮮の移住が進んでいた。 近代においては、移民ははじめ男性の出稼ぎ労働者が移り住み、のちに家族や親戚を呼び寄せるというパターンが多い。 そのため、大阪の朝鮮人口は福岡よりも女性の比率が高かった。 戦後すぐには両府県とも朝鮮半島への帰国者が相次ぎ、韓国・朝鮮人口は大幅に減少したが、その後大阪では徐々に増加していく。 これは自然増(出生)と社会増(移住)の二つの理由が考えられる。 女性が多いと、朝鮮同士での結婚も起こりやすく、朝鮮コミュニティが持続しやすい。 すると、そのネットワークを頼って他地域から大阪へ移住する朝鮮も多くなる。 このようにして大阪では在日韓国・朝鮮人口が増えていったと推測される。 ※以下出典先で FRAU 6/20 なぜ韓国人は大阪に多いのか、かつて多かった福岡との「決定的な差」日本は「東西」で語れるのか、「中部地方」は存在するのか、何が「裏日本」をつくったのか……新刊『新しい日本地理』では、大量の統計地図から私たちが実は知らない〈この国のかたち〉を明らかにする。FRaU | 講談社…