
1: 蚤の市 ★ uStVEjp+9 2026-06-11 12:25:11 皇族数の確保策に関する「立法府の総意」が10日、まとまった。女性皇族が結婚後も皇室に残る道が開かれる見通しになり、国内外で交流した人からは歓迎の声が上がる一方、元皇族の男性からは旧11宮家の男系男子を皇室に迎える養子案に懸念の声も聞かれた。 「日本と海外の架け橋となる女性皇族の活動が、将来も続くことになれば本当にうれしい」。ラオスで小児病院を運営するNPO法人代表の赤尾和美さん(63)はそう喜んだ。 昨年11月、ラオスを訪問した天皇家の長女愛子さま(24)はNPOの病院を訪ね、病棟を巡られた。独自の死生観から子供の重い病気の治療を拒否した家庭に、赤尾さんが根気よく通った話を紹介すると、愛子さまは「患者さんに寄り添われていますね」と話されたという。赤尾さんは「励みになった」と声を弾ませた。 秋篠宮家の次女佳子さま(31)は滑らかな手話を生かし、国内外で聴覚障害者との交流を続けられている。日本ろう芸術協会代表理事の牧原依里さん(39)は昨年11月、「東京国際ろう芸術祭」の式典に出席された佳子さまを出迎えた。ろう者と健聴者が並ぶ前で、「どちらにも何を話しているかわかるようにあいさつされていた」と振り返り、「皇室に残るかどうかは佳子さまの選択だが、自分なら、あそこまで積み重ねた活動を断たれたくない」と話す。 高円宮家の長女承子さま(40)は昨年7月、能登半島地震で被災した石川県輪島市を母の久子さま(72)と訪ね、大規模火災で被災した朝市通りで献花した後、商店主らに声をかけられた。輪島市朝市組合長の 冨水とみず長毅ながたけ さん(57)は「体をいたわる言葉をかけてもらった。女性活躍の時代。これからもますます公務に励んでほしい」と語った。 旧11宮家の一つ 久邇宮くにのみや 家に生まれ、1947年10月に皇籍を離れた久邇 朝宏あさひろ さん(81)が読売新聞の取材に応じた。 久邇さんは戦時中の44年10月、久邇宮 朝融あさあきら 王の三男として生まれた。皇籍離脱当時は3歳で皇位継承順位18位だった。昭和天皇の 后きさき ・ 香淳こうじゅん 皇后は父の妹で、上皇さまはいとこにあたる。 皇族の頃の記憶は「ほとんどない」という久邇さん。大学まで学習院に通い、日立製作所の技術者として約40年間勤めた。「自分は兄と違い、特別な教育は一切受けていない」と話す。 長男の邦昭さん(97)は29年生まれで、学習院から海軍兵学校に進み、皇族の将校となる準備を重ねた。著書では「皇族の男子だから帝王学が学べるよう配慮されていたのだろう」と回顧している。 久邇さんは会社員時代、生まれのことは極力話さなかった。宮様扱いされたくなかったからだ。ただ、皇室は身近な存在だった。未成年の頃は正月に決まって皇居に招かれた。昭和天皇や香淳皇后にあいさつした後、旧宮家の子供たちと雑煮を食べた。成人後も、親睦団体などを通じて皇族方との交流は続いた。 それでも、皇籍離脱から79年がたった今、皇族への復帰は「単純な話ではない」と考えている。「皇族になるには相当の覚悟が必要だ。私は今更、戻りたいと思わない」と明かす。 旧宮家の男系男子を養子に迎える案では、対象が「15歳以上」という想定も出ている。久邇さんの子は女子2人だが、他の旧宮家の男子の将来が「無理やり決められてしまわないか」と心配だ。「本人の意思を尊重してほしい」と話す。 一方で、伝統ある皇室が続くなら、幅広い選択肢が必要との思いもある。「私は女性天皇でも構わないと思っている」と語った。 読売新聞 2026/06/11 10:43…