人として同じだけの人権を持った人間同士なのになぜ叱る、怒るといったことを一方的に強制されなければならないのか親であり子であるからという理由だけでこんな苦痛を与える権利を持つならば、私の前で一個人であろうとするのは卑怯極まりない苦痛を強制するならどんな時でも親であれ、親であらずただの個人であろうとするな親の仮面を被り続け私心を頃して子供に向かい合う努力も怠けるような人間は、子を産み叱るなんて権利はない、といつも怒ってた中高生の頃は、低スペックな両親を見下していた教師などという低所得で世間知らずな職を選び、社会性が欠けている事をひたすら軽蔑していた大学で一人暮らしを始めて、4年間、親とあまり接することのない空白期間が生まれたその後就職して社会人3年目で当時の父親の年収は超えたけれど、さすがに親を個人としても親としても多少客観的に見れるようになって親父と晩酌しながら仕事の話をしたり、母親に子育ての苦労をきいて申し訳なかったと話せるくらいにはなった小中高と手伝いが心から嫌いで、あれこれ理由をつけては逃げていたから、一人暮らしを始めてもまともに味噌汁すら作れない状況だった手伝いとは親が本来すべき仕事の補助であり、偉そうに親然とするつもりならば子に親業をやらせようとするな、断固として拒否する、といった心境だった。それでも割り振られた洗い物や風呂掃除はこなしていたが、これまでのどんな苦労よりも苦痛で辛かった記憶がある一人暮らしを始めてすぐに料理も家事も覚え、あの時の苦痛は何だったのかと思った本当に精神的に「親が自分の義務を放棄してそれを強制させられている」という思いが自ら苦痛を産んでいたんだなと思い知ったすっかり忘れていたけど、最近妊娠がわかってふと子供時代の親への一連の恨みつらみ思い出した基本的に無口な性格だったから、面と向かって上記のような事を親に言った記憶はないでも蛙の子は蛙なので、自分の子が強烈にこんな感情を持つようになったら一体どうしようかと頭を抱えてる共働きで三十路で正直そんな体力はないし、疲れたと言わない育児なぞ出来る気がしないあんなに強烈に親の疲労や甘えを憎悪して20年生きてきた自分を思い出しても、どうすれば親の疲労をいたわるような子にできるのか見当もつかない…