
1: 樽悶 ★ 2026/04/25(土) 23:56:19 ID:28NT3Kvs9 岩田昌征(千葉大学名誉教授) 部落問題専門家川元祥一氏による「法務省への意見書」が山家誠一氏を介して郵送されて来た。 私=岩田の印象批評を書けと言う。 「意見書」は冒頭に定言する、「部落差別には今まで指摘されなかった政治・宗教の独断がある。 これを反省し根本的解決を。」と。 「意見書」によれば、我国の古代国家は、「護国三部経」の一つ「金光明経」に説かれた「不頃生戒」、「頃生禁断」を国家政治の基本的指針とした。 川元氏は、これが「部落差別の原点」と見る。 肉用家畜は「みな悉く放生す。 家々に肉を断じ、人善念して屠行せず。」(強調:岩田)とした。 天武天皇は、675年に国家として初めて「頃生禁断」、「肉食禁止令」を発布した。 川元祥一氏は、「仏教の『戒律』が国家政治の中で動き始め『部落差別の原点』が政治制度的『部落差別の原因』として動き出す。」と判定する。 同じ仏教国でありながら、中国や朝鮮は「不頃生戒」を国家として受け入れなかった、と指摘する。 (省略) 古代国家は、班田収授の土地制度や国分寺・国分尼寺の文化制度を創建し、運営した。 それらを創建した主体は、奈良や京都の朝廷であり、天皇・上流貴族であっても、それらを現場で現地で運営した主体は、現場の実力実務集団、今日の地方公務員に当たる人々である。 未だカタ仮名もヒラ仮名も存在しなかった時代、万葉仮名の時代に漢字で書かれた「金光明経」の政治理念を如何にして、農業生産・手工業生産に従事する一般民衆に伝達し、説明し、納得させ、実施させる事が出来たのか。 都の意思を現場に伝達し、執行する中間的実力実務集団が対面的に対人的に口頭で、かつ上からの目線で一般民衆に接触し、租庸調を都へ運ばせ、国分寺・国分尼寺を地域で維持させたのである。 かかる現場の中間集団は、今日の部落問題の部落そのものではなく、原(前)部落である、と私=岩田は想定する。 原(前)部落は、国家政治の鍵的理念である「肉食禁止」と「屠行禁止」を一般民衆の義務としてのみ理解し、自分達の義務だとは考えていなかった。 それは、租庸調が一般民衆の負担であり、自分達の義務はそれを取り立てる事であっても、自分達もまた租庸調の負担義務ありとは思っていなかったのと、同じ道理である。 当時、肉食も屠頃も日常的に行われていた。 そうでなければ、天武天皇の禁令も宇佐八幡宮の託宣も無意味であろう。 時とともに、農具鉄製化の進歩普及によって、一般民衆のほうが国家の力を借りることなく、これまでは農業適地でなかった大河流域の大原野を次々と開拓し、新しい村落を群生させて行く。 古代国家の地方公務員役であった原(前)部落の統制が及び得ない新世界が力強く展開して行く。 原(前)部落統制下の農業生産力を数倍する新農業生産力が出現する。 同時に、一般民衆間結婚によって人口も亦数倍化して、原(前)部落の対人的・対面的影響力が激減する。 影響力が激減されたにせよ、かつて原(前)部落によって上から目線で微に入り細に渡り影響・指導・統制されて来た苦い記憶の方はかえって強化・温存される。 経済生活の主役になった一般民衆の側に原(前)部落への忌避感が誕生する。 所謂「部落差別」の成立である。 かくして原(前)部落の強力な部分が所謂部落となって生き残る。 (省略) 「意見書」への評言から離れて、川元著『部落差別の謎を解く キヨメとケガレ』(2009年9月25日、にんげん出版)での若干の主張を論評する。 部落の「公務その(1)―斃牛馬処理、公務その(2)―下級警察業務、公務その(3)―神社・仏閣のキヨメ」を説く。 上記の岩田私論によれば、原(前)部落に(1)は特権としてはなかったと思う。 牛馬が食用に許容されていた時代、牛馬の氏体処理能力を持っていた者達は、原(前)部落内外に相当数存在していたはずである。 原(前)部落内でな主に武具用牛馬の加工であったろう。 それが、「金光明経」の国家イデオロギー化政策の帰結として部落の特権的仕事に成ったのである。 (2)と(3)は、原(前)部落時代の名誉ある特権的全公務の名残りであろう。 特に(2)については、今日の部落解放闘争で使われる「糾弾」なる語法にその名残りがある。 普通の被支配階級では権力者への「請願」から闘争が始まる。 「糾弾」は、権力者側が被支配者側の秩序違反行を糾す場合に使用する上から目線の用語である。 最後に一言、原(前)部落の起源の一つは、古代天皇家の屯家・屯倉(みやけ)にあるのかも知れない。 屯家の分布図と部落所在地の分布図を比較してみたい。 更に更に昔に遡れば、神武東征で久米歌を唱っていた「みいくさ」達に行き着くのではないか?! 2026年4月22日 部落差別chikyuza.net…