
1: 冬月記者 ★ 2026/04/24(金) 01:08:46 ID:g1tWKtvs9 呂布カルマ「AIを敵視するアーティストやクリエーターの言動に違和感」(週プレNEWS) - Yahoo!ニュースラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『Yahoo!ニュース 呂布カルマ「AIを敵視するアーティストやクリエーターの言動に違和感」 ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。 『週刊プボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『AI』について語った。 ★今週のひと言「アーティストやクリエーターはAIに淘汰されていくのか」 最近、SNSやさまざまな現場で見聞きする、生成AIを敵視するアーティストやクリエーターの言動に違和感を覚えている。 確かにこの先数年の間に今ある仕事の大部分がAIに代替されていくのは確実で、それによって誰にとっても生活はどんどん便利になっていくのだが、それぞれAIに代替された仕事の従事者にとっては「仕事を奪われた」という感覚になるのもうなずける。 例えば職業ドライバーや家政婦にとっては迷惑となるだろうが、あらゆる乗り物の運転や家事全般などがすべてAI機器任せにできるのは大多数の人にとって歓迎すべき未来だ。 それはあらゆる業種にまたがっていて、自分の仕事は残しつつ、そのほかはAIに任せて便利さを享受するなんてわがままは通らない。 人がやる必要がなくなった仕事は、人がやらなくてよくなる。 それだけのことだ。 とはいえ、運転が趣味なら自分で運転するだろうし、料理をしたければ自分ですればいいのだ。 その自由まで奪われるわけではない。 つまり、アートやクリエーティブな活動自体がAIによって制限されることはないし、ましてや奪うことなど不可能なのである。 そう考えると、アーティストやクリエーターは、それらの不安とは無関係なはずなのだ。 なくなるのはあくまで仕事だけ。 それも二流三流の。 どれだけAIが発達しようが、それを楽しむのが人間である以上、人間にしか表現できない領域がある。 誰が書いても同じような芸能ゴシップやコタツ記事などは一掃されてしかるべきだが、例えばこのコラムなどは俺、呂布カルマというイチ人間の個人的な考えだからこそ価値がある。 俺っぽいAIが、俺っぽく書いた文章には、当然価値がないのだ。 つまり作者自身がネームバリューを獲得していれば、その領域は奪えない。 そもそも、俺自身が音楽を商品としている身分で言うのもおかしな話だが、自分が勝手にやりたくてやってる創造活動に対価が払われている状態が異常なのであって、世の中のあらゆる創造活動は本来仕事になどなりえないのが普通なのだ。 しかし、CMのために作る音楽や、作者が明示されないレベルのイラストやデザインなどはAIに取って代わられるだろう。 それらの仕事をメインの食いブチにしている者にとっては、AIは脅威となるだろうが、彼らはそもそもアーティストでもクリエーターでもない。 AIの台頭によってアートは商業から切り離され、より自由で純粋なジャンルに立ち返るのだ。 楽しいからやる、やりたいからやる。 やってるうちにそいつ個人にしか表現できない特異性や発明に行き着き、そこで初めて他者が対価を払うべき価値が生まれる。 覚えたての表現に夢中で没頭する子供たちや、これから新たに始める、仕事にならなくて当たり前の世代が次の時代のアーティストになっていく。 金にならなければ続けられないというヤツは、とっととペンやマイクをおけばよい。 それが正常な新陳代謝というものだ。 つまりAIアートがどれだけはびころうが、アーティストを自覚している者にとってはまったく関係がない話なのだ。 うろたえるのは偽者ばかりである。…