
1: ネギうどん ★ 2026/04/08(水) 12:16:18 ID:pOqwk7Gx9 日本ハム新庄剛志監督(54)が、5日放送のTOKYO FM「木村拓哉 Flow」(日曜前11・30)にマンスリーゲストとして出演し、プロ野球選手になるまでのいきさつを語った。 長崎県生まれ。 その後福岡県へ移り、少年時代を過ごした。 西日本短大付から89年ドラフト会議で、阪神から5位指名を受けて入団した。 走攻守そろった万能ぶりだけでなく、派手なパフォーマンスも人気に。 その後、メジャーにも挑戦し、メッツやジャイアンツでプレーした。 小さいころから運動神経は抜群だったという。 最初に興味を示したのは、長距離走だった。 「野球は一番最後。 一番最初、マラソンなの。 マラソンが大好きで」。 木村拓哉が「マラソンってさ、好きになるの難しくない?」と驚くと、新庄監督は「将来、瀬古になりたかったのよ」と答えた。 福岡で開催された福岡国際マラソンを現地で観戦したという。 瀬古利彦が、イカンガーとのデッドヒートを制して優勝。 新庄少年はそのレースに感銘を覚えたという。 「俺、見に行ったのよ。 その時の瀬古さんがかっこよすぎて。 42キロずっと付いて行って、平和台競技場に入って、歓声を浴びて、150メートルでラストスパートで1位になるんだから」と振り返った。 「俺マラソン大会、ずっとまねしたもん。 余裕なんだけど、1位って思いながら、最後のラストスパートで抜く。 俺は瀬古さんになりたいってずっと思っていて。 仮面ライダーじゃなかったのよ」 その後、サッカーもプレー。 「俺、むちゃくちゃドリブル速くて、むちゃくちゃキック力あるよねって。 ガン!って蹴った後に、キーパーが逃げるぐらいのキック力だったの」。 それと同じタイミングで始めたのがソフトボールで、投手としてプレーした。 最終的にどのスポーツへ進むべきか、父に尋ねたという。 「親父に“マラソン選手と野球選手とどっちがもうかる?”って聞いたら“野球たい”って言うから、じゃあ野球をしてみようかっていうのがきっかけかな」。 父に川原へ連れて行かれ、石を投げてみると、天性の強肩ぶりを発揮。 「小学校4年生ぐらいで90メートルくらい投げていたのよ、その石を。 そしたら親父が“ありがとう。 もうプロ野球選手”って思ったみたいで」。 父はプロ野球選手になる夢を断念した経緯があり、新庄監督にその夢を託したのだという。 新庄剛志監督 野球以外に考えたスポーツの選択肢「野球選手とどっちがもうかる?って聞いたら」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 日本ハム新庄剛志監督(54)が、5日放送のTOKYO FM「木村拓哉 Flow」(日曜前11・30)にマンスリーゲストとして出演し、プロ野球選手になるまでの…スポニチ Sponichi Annex…