
1: ななしさん@発達中 2026/04/07(火) 12:32:23.81 ID:z1Tovt1f9 免責:最初にしっかり断っておく。これは社会学的な「傾向」の話であり、独身者や特定の個人への批判では一切ない。当然、既婚者にも狂っている人間は存在するし、この内容が独身者全員に当てはまるわけでもない。 ~ 一体、何が「狂う」のか? 「狂う」というワードは強烈な印象があり、誰しも精神疾患と捉えると傾向があるだろう。だが、筆者がここでいう「狂う」とは社会的キャリブレーションの停止と定義する。 キャリブレーションとは、ズレを検知して修正する機能のことだ。計器が狂うとは、針が実態と乖離したまま修正されない状態を指す。人間も同じメカニズムで狂う。 わかりやすく一言で言おう。端的に狂いとは「認知の歪み」のことだ。独身の立場が継続して本人の中では若い頃の感覚が維持されるが、社会から年齢相応の期待値が上がって発生する「ズレ」である。 決して本人がダメだとか、精神疾患を持っているとかそういうことを言っているのではない。同時に、既婚者ならではの認知の歪みも当然ある。あくまで独身者に見られる「傾向の差」と解釈頂くと幸いだ。 では独身の40代において、なぜキャリブレーションが停止するのか。次の項目から取り上げていく。 若い欲求のまま止まる 中年独身者から言われることに、「この年になっても中身は何も変わらない。自分は今でも朝までゲームして、海辺で騒ぎたい」とか「今でも友達と夜通しバカ話、恋バナで盛り上がりたい」といった欲求を聞くことがある。だが、こうしたよく聞く意見に自分はあまり賛同できない。「中身は昔から何も変わらない」ということはなく、結婚、出産、育児というライブイベントにより、パパママ、保護者と役割を与えられて中身のアップデートが強制的に行われるからだ。筆者は子供からせがまれ、毎日、庭にサッカーゴールを作ってゴールキーパーやドッジボールの相手をしている。また、雨の日は人生ゲーム、UNO、神経衰弱、カラオケなども付き合う。まるで、学生時代にやりそうなことを子供と毎日やっているのだ。そのため、「大人同士ではしゃぐ」という発想が生まれることはまずない。毎日、それを子供とやっているからだ。ライブイベントの解像度が低い昨年、旧友5人で食事をした。筆者を含む2人が育児中、残り3人は10年近く婚活を続けたが結婚に至らず、現在は婚活をやめた状態だ。彼らから「どうやって結婚できたのか」「結婚生活はどうか」という質問をされ、こんな言葉が出た。「結局、結婚ってメリットがまったくないよね。結婚なんてやらなくてよかった」と。おそらく彼らの言うメリットとは、経済的合理性や数値化できる社会的便益のことだろう。だが筆者も妻も、メリットなど計算した瞬間は一瞬もない。ただ一緒にいたかった、それだけだ。そこまでメリットと内包するかは定義次第だが、少なくとも経済的、社会的メリットなどは考えない。恋愛結婚をした人間は同じ感覚を持つ人も少なくないはずだ。もちろんある程度のスペック前提でないと、結婚が進まない事実を否定しない。だが彼らの発言を聞いて感じたのは、結婚という現象を「打算でのみ説明できるもの」「男性側に結婚のメリットがなく、結婚をするのは損をしている人たち」という狭いフレームで捉えているということだった。また、こうした解像度の差は結婚に限らず、あらゆるライフイベントに現れる。独身者も結婚式には参加する。だが参加者と主催者では、得られる経験値が根本的に異なる。たとえば参加者側しか経験がないと「自分がいかに丁重なもてなしを受けたか」という「消費者側の視点」しか生まれない。自分もかつてはそうだった。だが、主催者側に立っておもてなしを提供者側を経験すると、それ以降参加する結婚式は「主催者側の視点」も見えてくる。念のため言うが、これは彼らを責めているのではない。経験値の差が生む認知の非対称の話に過ぎない。経験したことがないことをわかるのは無理だからだ。 続きはこちら…