
1: それでも動く名無し 2025/06/23(月) 16:55:00.68 ID:+U2Xg7Z/0 JKが学校入ろうとしてるのにムキムキの生活指導教師がバカ力で校門閉めて圧死事件当日1990年(平成2年)7月6日午前8時過ぎ、3名の教諭が校門付近で遅刻指導を行っていた。その内の1人は、門から200メートル離れた駅寄りの歩道で、ハンドマイクで遅刻しないように注意していた。その後門に戻り、ハンドマイクを置いて、事件直前に時計を見ながら「5秒前閉めるぞ!」などと生徒に対して叫んでいた。この時細井がカウントダウンをしていたという趣旨の報道があったが、細井自身はカウントダウンをしてはいないと述べている[5]。当日は期末考査の日であった。午前8時30分のチャイムが鳴ると同時に、細井は高さ1.5メートル、重さ約230キログラムの鉄製のスライド式の門扉を閉めた。門扉にはかなりの重量があったので、低い姿勢でややうつむき加減に押したという。門扉の速度があがってからは、細井は門扉を押すのをやめ、門扉の動きに手を添えるようにした。この時点ではちゃんと前方を向いていたと細井は証言している。門を閉め始めた直後、門を避けるようにして入ってきた2人の生徒のほか、細井には他の生徒の姿は見えなかったという[5]。被害者と少女Aは、門から200メートルほど離れた歩道で、前の生徒が走り出したのを見て、走り出した。その後、校門15メートル手前で一度立ち止まり、その時にチャイムが鳴るのを聞いて、また走り出した。門扉の直前で、被害者は少女Aを置き去りにして、前に居た複数の生徒の固まりを追い抜いた。被害者の約50cmくらい左後ろに居て、一部始終を目撃していた男子生徒によると、被害者は校門から1・2歩手前で前屈みになり、顔は下に向けて、体を小さくした。この男子生徒は、もう間に合わないと思って足を止めたし、全力疾走していた被害者が間に合うようにも見えなかったが、被害者は速度を緩めなかったという。細井は、生徒の固まりの陰から、身を屈めて飛び込んできた被害者に気付かずに、そのまま門扉を押して閉め切ろうとした[6]。この時点で、細井は、明らかに事態に気付いておらず、検察の冒頭陳述によっても、被害者の後から門内に駆け込もうとしていた男子生徒1名が、被害者が挟まれたのを見て、とっさに門扉前方をつかんで押し開いたのを、門を押し開けて校内に入ろうとしていると勘違いまでしている。この検察の冒頭陳述でも、彼が被害者に気付いたのは、この男子生徒を注意しようと門扉前方に行った際である[7]。少女Aによると、被害者と自分は、左右に別れて、校門直前にいた生徒の固まりを追い抜いたという。しかし、他の目撃生徒の殆どは、被害者は、少女Aと一緒に集団の生徒の右から回り込んで強引に入り込もうとしたと証言している[8]。女子生徒は、門扉と門柱の間に頭を挟まれたことなどにより、頭蓋骨粉砕骨折等の重傷を負った。細井が女子生徒をほったらかしにしていたという説に関して本人は否定しており、野球部員が頭を打った際の対処法を被害者にも試みた(細井は野球部の監督を務めていた)としている[5]。その後、女子生徒は搬送先の神戸大学医学部附属病院で10時25分に脳挫滅による死亡が確認された[9]。現場に付着した女子生徒の血液は警察の現場検証前に学校により洗い流された。当日の試験は予定通り実施され、細井も試験に立ち会っていた。女子生徒の容態を質問した生徒に対して「重傷だが生命に別状はない」と説明していた。 引用元:…